お墓参りをする時、場合によってはお坊さんに読経供養をお願いすることがあります。
お寺によってはお墓参りでも宗派によってお作法が違うといわれることがあります。
ただ普段からお寺とのお付き合いがない場合、「お墓参りなのに仏教が関係するの?」と疑問に思う人もいるのでは?
さらにお墓に関する疑問を複雑にしているのが、「ご先祖様」というキーワード。
実際にお墓参りに行くことを「ご先祖様にご報告に行く」と表現することもあります。
そうなると「お墓は仏教?それともご先祖様?」という疑問も…。
そこで今回はお墓にまつわる仏教とご先祖様の関係について、できるだけわかりやすく説明していきます。
お墓参りは日本独自の習慣
お墓参りという習慣は、日本独自の習慣といった方が正しいです。
仏教としての意味もありますが、それ以前に先祖供養としての意味の方が歴史的に見ても古いのです。
ご先祖様ってどんな存在なの?
日本人が考えるご先祖様は、大きく分けると2つの意味があります。
一つは直接血縁関係のある故人。
「○○のおじいちゃん」「○○のおばあちゃん」といって小さい頃にお墓の前で手を合わせていた記憶に近いのがこれにあたります。
もう一つは血縁関係にあるすべての故人。
この場合は数世代前の故人を指すこともありますし、はるか昔に亡くなった血縁者のことを指すこともあります。
ご先祖様は神様?
小さいお子さんをお墓参りに連れて行くと、「ご先祖様に手を合わせなさい」といっても「ご先祖様って誰?神様のこと?」という質問をされることはありませんか?
これは確かに難しい問題でもありますが、至ってシンプルな疑問でもあります。
確かに先祖崇拝という日本に古くからある考えでいえば、「ご先祖様=神様」です。
でも仏教においては「ご先祖様=神様」という考え方とは少々違ってきます。
仏教は大きく分けると、「亡くなってから修業を積んで仏様になる」という宗派と「亡くなるとすぐに仏様になる」という宗派があります。
「亡くなるとすぐに仏様になる」という考えの場合は、お葬式においても「故人の供養のために読経供養をする」のではなく「この機会に改めて仏様に感謝の気持ちを持ちましょう」という意味の方が強くなります。
ところが「亡くなってから修業を積んで仏様になる」という宗派の場合は、四十九日の旅を経て仏の世界に旅立つと考えます。
そのため亡くなってから四十九日を迎えるまでは、遺族らの供養が大事であるといわれます。
ちなみに四十九日法要のあとにも百日法要や一周忌、三回忌…など供養を続けなければいけないといわれるのが、「亡くなってから修業を積んで神様になる」という考えの宗派です。
もともとは四十九日を過ぎれば仏の世界に行けるという教えだったのですが、人の寿命が時代とともに少しずつ伸びていくにつれこの世で犯した罪が増えるのだとか…。
そのためそれまでは四十九日間の修行でよかったものが、百日、一年、三年…と時間をかけなければ素晴らしい仏様の世界に行くことが出来なくなったというのです。
あの世の世界を体験した人がいないのでこうした教えが本当かウソかを知ることはできません。
ただ仏教の世界ではそのことがあるために「亡くなってからも遺族が供養し続けることが大事だ」といわれるようになったといいます。
ご先祖様が神様といわれるようになった理由は?
ご先祖様のことを神様というようになったのは、日本が稲作を中心とした農耕民族だったということと関係しています。
日本全国には古くから伝わるお祭りが今も数多く残っていますが、これらは全て稲作が関係しています。
祭りが行われるのは農閑期であり、田植えの前には豊作を祈願してお祈りをしましたし、豊作となればそのことを感謝するお祈りをします。
この時にお祈りしていたのは、もともとは自然の神様です。
雨を降らせてくれる神様や豊作をもたらしてくれる神様など、様々な自然の神様に祈るのが原点でした。
ただこうした自然の神様には「神様として生まれたケース」と「死んでから神様になるケース」がいます。
前者の場合は神話に出て来る神様のことを表す場合もありますし、自然界に存在する山や岩などが神様となることもあります。
後者の場合、神様の定義としては細かな解釈の違いがあるのですがザックリいう「亡くなった人=神様」となります。
ただ生きていた人が死んだことで神様になるので、きちんと感謝の気持ちを表せば恩恵をもたらしてくれるのですが、その存在をないがしろにするととんでもない祟りにあってしまいます。
そのため自然の神様に感謝をするのと同じように、亡くなってから神様になったご先祖様に対しても墓参りをして感謝をする習慣が日本に根付いたというわけです。
仏教でのお墓参りの花は白い菊でなければいけないの?
仏教式でお墓参りをする場合、「白い菊でなければいけない」といわれて怒られてしまうことがあります。
でもこれはいくつかの条件が重なっていることが原因だと考えられます。
まず一つは「お寺が管理するお墓」。
この場合お墓参りのお作法は、お墓を管理するお寺のお作法を守るということが大切になります。
仏教では故人の魂がより良い仏の世界に行くためには、残された家族の供養が大切だと考えます。
そのためきちんとしたお作法にのっとってお墓参りをすることを求められることがあります。
このような場合は素直にお寺のお作法に従うのがマナーです。
もう一つの条件は「地域の習慣」です。
お葬式だけでなくお墓参りなどの先祖供養に関しては、地域の習慣が色濃く反映されます。
地域の習慣はそれぞれ違います。
特にお供え物に関しては地域によってかなり厳しい地域もあります。
こうした場合は、地域の風習に詳しい人にあらかじめ確認してから花を準備するのが一番です。
では「お寺の事情」「地域の事情」が特に関係ない場合でもお墓参りは白い菊にこだわらなければいけないのかというと、「最近ではそうでもなくなった」というのが現状です。
「故人が生前好きだった花であれば問題ない」という意見が一般的になっているので、お花を準備する場合も比較的自由にアレンジメントしてもらうことが多いです。
ただし生花の場合は、枯れた後の処理が問題になります。
夏場などは一日で花がしおれてしまいますし、放置すれば枯れて見た目も悪くなってしまいます。
そのため管理型墓園では生花の持ち込みを禁止している場合もあります。
せっかく準備したものが無駄にならないためにも、気になる場合はあらかじめ管理事務所に問い合わせをするのが一番です。
仏教式でお葬式した場合はお墓参りにも数珠を持たなければいけない?
日本では仏教式でお葬式をすることが多いので、お葬式の際に数珠を持っていくというのは一つの常識になっています。
ただ問題は「お葬式を仏教式でやった場合はお墓参りも数珠が必要なのか?」ということです。
この質問の答えは「ケースバイケース」です。
地域によってはお墓参りの際にお数珠を持っていくのがマナーとされている地域もあります。
また法要の後にお墓参りをするのであれば、数珠を持参するのはマナーです。
ただ一般的なお墓参りとなれば、数珠はなくても問題はないです。
あくまでも亡くなった人への感謝の気持ちを伝えることがお墓参りの本位であり、数珠は仏教で仏様に敬意を払うための道具にすぎません。
考え方次第ではありますが、一般論として「お墓参りに数珠が必ず必要である」ということはありません。
まとめ
お墓と仏教、神様と仏様…と考え始めるとなんだか複雑になってくるのですが、お墓参りの基本は「感謝の気持ち」です。
その対象がお墓で眠る家族である場合でも、顔を見たことがない数世代前のご先祖様であっても、墓に向かって感謝の気持ちを伝えれば必ずあなたを守ってくれる神様に通じます。
実はこれこそが現代人が上手にお墓と付き合うポイント。
「やらなければいけない」ではなく「無理のない程度にお墓と付き合う」気持ちでいるのが、お墓参りの回数を減らさない大事なポイントです。
「供養」という言葉を使うと何となく仰々しいですが、「自分を守ってくれる神様にお礼をしに行く」という程度でお付き合いをするのが現代人のお墓参りには大事なのです。