お葬式に参加する場合、必ず「香典」を準備します。
ただお葬式に参加する立場によっては、「お通夜だけ参加」「お葬式だけ参加」「どちらも参加」に分かれます。
「お通夜だけ」「お葬式だけ」の場合であれば式場に足を運ぶタイミングで香典を準備すればよいのですが、「どちらも参加」となるとどのタイミングで香典を出すのが正しいのか悩んでしまいます。
そこで今回は「お香典の意味」をもとに、香典を出すタイミングについてポイント解説します。
お通夜とお葬式で香典を渡すタイミングは!?
お通夜とお葬式のどちらも参加するのであれば、先に行われるお通夜式に香典を準備する方が一般的です。
お香典には「香を供える」という意味とは別に「家族の経済的な支援」という意味もあります。
ですから少しでも早く渡した方が、後者の意味としての香典に近づきます。
ただ近い親族であれば、お通夜式の前に故人との対面をしますよね?
この時もタイミングによっては香典を準備します。
でも故人との対面となると訃報連絡を受けた直後となりますので、通夜の前になることがほとんどです。
では対面のときと通夜のときでは、どちらに香典を出すのが良いのでしょうか?
これは「対面のとき」と考えた方がよいです。
通夜式の前に故人と対面を果たすということは、あなたと故人との関係は非常に近いということですよね?
となれば喪主や遺族との関係も近いわけです。
ですから「何かとお金が必要なお葬式だから、少しでも経済的な負担が少なくなりますように」という意味で早く準備します。
ただし亡くなった直後に対面する場合は、香典を準備すると「あらかじめ死ぬことを予測していた」と捉えられます。
ですから対面のタイミングによって判断するのが正しいといえます。
本来の香典の意味では「どちらも出す」なのですが…
お香典の本来の意味が「香を供える」という点で考えれば、供物は多い方が良いと考えます。
ですから香典の意味だけで考えれば、お通夜とお葬式の両方に参加するのであれば「それぞれ香典を準備する」というのが本来の意味に近いです。
実際にお通夜とお葬式でそれぞれ香典を出す人もいますが、絶対数で言えば圧倒的に数は少ないです。
つまり今の常識で言えば「どちらか片方だけ出す」というのが一般論と言えます。
お香典は本来「死者に対する供物」
お葬式に参加するときに必ず準備するお香典は、そもそも死者に対する供物です。
「香典」という表現をするのは仏教に限られるのですが、ほかの宗教の場合も「御霊前」「御花料」「御榊料」「玉串料」などとして準備します。
今回はあえて宗教にこだわらず一般的なお葬式の例として仏教の「お香典」に注目し、本来の香典の意味について解説してみましょう。
・仏教でお香が重要なのは発祥地のインドの環境と関係があった
仏教において「香」とは重要な意味を持ちます。
仏教は古代インドを発祥地とする宗教なのですが、そのインドはもともと香木の産地としても有名な場所です。
インドというと非常に気温が高い地域にあるため、臭いが発生しやすいという地域的な特徴があります。
例えば汗をかけば汗臭さが気になりますし、気温が高いわけですから生ものの腐敗も早いです。
もちろん物が腐るときの臭いはとんでもない悪臭が出ます。
動物の死骸も腐敗すれば悪臭となりますし、トイレなどでも衛生状態が悪いと悪臭の原因となります。
こうした悪臭は心を乱します。
仏教では「心の安定=精神の浄化」と考えます。
ですから心を乱す悪臭を消し身も心も浄化された状態を保つためには、香を焚くことが最もオーソドックスな方法だったわけです。
そんなインドならではの習慣もあり、インド発祥の仏教では香を焚くことそのものが穢れを払う行為として重要な意味を持つようになります。
そしてインド仏教は中国へと渡り、さらに中国から日本へと伝わります。
インドと比べれば日本の気温は非常に過ごしやすいものですが、「香を焚く=仏教儀礼」として伝わったため日本仏教でもお香はとても大事な役割を持っています。
・お葬式の香典は「お香」の代わり
仏教において香が持つ役割が重要であるということがわかりましたが、お葬式のお香典との意味はまだこれではよくわかりませんよね?
そこで今度は「香典」という意味を見てみましょう。
香典は「香奠」とも書きます。
この「奠」という感じには「供え物」という意味があります。
つまり「香奠」と書けば「お香のお供え物」ということになります。
もちろん現在では香典袋の中にお線香を入れるなんてことはありません。
現金を入れるのが常識です。
でもこのようにお金を準備するのにも理由があります。
これには「このお金を使ってお香を準備しお供えください」という意味があると解釈します。
そのため現金を入れた封筒に「お香典」と書くことによって、実際にはお香を入れているわけではなくても意味としてはお香を供えたことと同じ意味になるのです。
・その昔は現物をお供えしていた
現在ではお金を準備することが「お香典」なのですが、経済的にも苦しい時代にはお茶や米などの食料を現物のままお供えするのが一般的でした。
これは本来の「香を供える」という意味とは別に、「遺族の生活的な支援」という意味もあります。
いつの時代であってもお葬式のためにかかる費用は大変なものです。
まして仕事を休めばその分収入は減ります。
それでもお葬式はしなければいけません。
そんな家族の状況を少しでも支援するために、現金を供えるのではなく食料を持ち寄るのが一般的でした。
ちなみに「死は穢れ」という考え方も日本では古くからあります。
死の穢れは広まっていくものだと考えられていたので、できるだけ広まらない様に結界をつくったり死霊に取りつかれない様に様々なまじないが行われてきました。
そのひとつとして「死者の出た家とのかかわりを持たない」という風習が生まれます。
これは死者の遺族と接触することによって穢れがうつるといわれていたことに関係します。
そのため死者の家族が家を出入りすることで死の穢れが村中に蔓延することを恐れたわけです。
そこで穢れを封じ込めるために村人たちがあらかじめ遺族や親族(お葬式に参加する人)の食事を準備し、死者の家族が家から出さないために食料をお供えしたという説もあります。
・米俵をお供えするのが主流だった時期もある
死の汚れは蔓延するという考えが少し薄れてくると、地域の人々が積極的にお葬式に参加するようになります。
それまでは葬式は死者の家族が行うものと考えていましたので、遺族・親族を家に閉じ込めておくことで死の穢れが蔓延することを防いできました。
でもこうした考え方が時代とともに薄れてくると、お葬式は集落単位で行うものに変わります。
そのため香典はお葬式を運営するために役立てる物として考えられるようになります。
多くの人がお葬式にかかわるようになると、手伝ってくれた方へのお礼が必要になります。
当時は現在のように葬儀社なんてありませんから、棺や式場の準備などから畑仕事まですべて集落の住民たちが総出で手伝いました。
そのため遺族は食事をふるまってお礼をするようになります。
食事を出すには米が必要ですが、コメは非常に高価なものです。
それでも必要なものなのでここから「米をお供えする」という発想がうまれます。
立場によっても備えるコメの量も違いました。
近い親族の場合は米俵を丸ごとお供えしたといいます。
そのためため「一俵香奠」という言葉が生まれます。
今でも地域によってはその名残が残っているところもあります。
・香典がお金に変わったのは意外と最近の話
現金を香典として供えるようになったのは、比較的最近のことです。
室町時代にも現金を香典として包んだという話がありますが、これは武士など一部の階級の話です。
当時の庶民はやはり食料を香典として供えるのが主流でした。
一般庶民の間で現金を香典とするのが一般的となったのは明治時代以降のことです。
ただこの当時も一部の農村地域ではやはり農作物を供物として供えるのが主流でした。
全国的に現金を香典とするようになったのは、戦後のことだといわれています。
そう考えてみると香典の歴史は意外と短いといえますね。
まとめ
香典には「香を供える」というだけでなく「経済的な支援をする」という意味もあります。
そのため「いつ」「どのタイミングで」というのは、あなたが準備する香典の意味を考えて判断する必要があります。
弔問客として香典を準備するのであれば「お香料」という意味で準備すると考えますが、親族として準備する場合は「遺族の経済的支援」として準備します。
ですからどのようなタイミングで出すのがよいのかは、あなたと故人または喪主・遺族との関係にもよるといえます。