大切な人をなくした悲しみとどう向き合っていけば良いの!?

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大切な人との別れは、時にあなたの心を激しく揺さぶり、時に何事に対しても関心が持てなくなることがあります。

これは正常な心の状態です。

でもそのような状態をさまよっていると、「いつになれば自分の心が楽になれるのか」という不安な気持ちも出てきます。

さらに「四十九日も終えたのだから、そろそろ悲しみを乗り越えなくちゃだめよ」というアドバイスをされることもあります。

きっとあなたの頭の中でも、周りから言われるようなことを考えているはずです。

でも頭でいくら考えても、心がそれについて行かなきこともあります。

大切な人との別れの受け止め方に「正しい」ということはありません。

でも考え方のヒントになることはあります。

今回は今のあなたの心をほんの少しだけ楽にしてくれるヒントを紹介していきます。

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初七日や四十九日は人間が決めた別れの期限!

日本のお葬式の多くが仏教式で行われます。

仏教にも様々な宗派がありそれぞれに考え方が違います。

その中でも比較的オーソドックスなのが「亡くなると四十九日間の旅を続け、その後生まれ変わりを果たす」という考えです。

でも初七日や四十九日などのような中陰法要(亡くなってから四十九日までの間に行う法要・供養)は、あくまでも人が決めたものです。

ですから必ずしもそれまでに大切な人との別れをきちんと整理して気持ちを前向きにするという必要はありません。

 

そもそも四十九日という期間は中国の古い文献の中で決められた喪に服す期限

中国には様々な古い文献があります。

そのうちの中に、お葬式やその後の過ごし方などを細かく書き示した「礼記(らいき)」という書物があります。

礼記には、お葬式における決まり事や作法、葬儀が終わった後の遺族の過ごし方や忌明けの考え方等様々なことがかかれています。

その中に、「遺族が悲しんでよいのは四十九日まで」という記述があります。

 

ある人が自分の親を亡くし、悲しみのあまりに仕事も手につかない状態に陥ってしまいました。

たしかに親兄弟を非常に大切にする文化がある中国では、親を亡くす悲しみほどつらい物はないという考えがあるので、そのことを受け止めるためには時間が必要であるとしてきました。

ところがこの人物はいつまでたっても悲しみから抜け出そうとせず、仕事にも家の外にも出ようとしません。

そこで人としての心構えとして「悲しんでも良い期間は四十九日まで。それ以降は必要以上に悲しむべきではない」という一文を書き添えました。

つまり「四十九日までに心の整理をつけなくてはいけない」ということは、人間が決めたものなのです。

 

人の心はそう簡単に整理できるものではない

大切な人の死を受け入れるためには、様々なプロセスが必要です。

もちろん時間が経つことによって亡くなった直後のような激しい感情に振り回されることは少なくなる筈です。

でもそれが「悲しみを乗り越える」ということではありません。

そもそも悲しみを乗り越えるのではなく、「新たな記憶が辛い記憶の上に積み重なっていくだけ」です。

大切な人との別れを経験した直後は、別れの記憶があまりにも強いため心が無防備な状態になっています。

でも時間が経つにつれて少しずつ別れの記憶の上に、新しい記憶が積み重なっていきます。

そのことによって大切な人を思い出したとしても、胸の奥がジンと疼くだけで当時のような激しい感情が起こることは少なります。

世間ではこのことを「悲しみを乗り越えた」といいますが、これは間違いです。

人は大切な人との別れの悲しみをなくすことなどはできないのです。

 

お葬式や法要は悲しみを共有する場所でもある

お葬式や法要では「弔問客の対応に追われる」というイメージがありますよね?

確かに死のショックが覚めやまぬうちの出来事なので、わずらわしさを感じる人もいます。

でもこれは良いことでもあります。

なぜならあなたが知らなかった大切な人の一面を聞くことによって「大切な人のことをこれからもずっと持ち続けていたい」と思う気持ちが強くなるからです。

 

またあなたの心の中の苦しみを吐き出すことによって、ほんの少しだけ心が軽くなります。

それはあなたのためでもあり、話を聞いてくれる人のためでもあります。

人はこの世を去った後も記憶の中で生き続けます。

思い出がたくさんなるほどその記憶は鮮明にあなたの中に残ります。

そしてその記憶が残っているかぎり、大切な人はあなたと共に生きていきます。

 

でもこのような感情に至るまでには、時間が必要です。

時間は全てを忘れさせてくれるわけではありませんが、心に感じる痛みや悲しみは少しずつ形を変えていきます。

そのことによってあなたの心はほんの少しだけ柔らかな感情に包まれることが出来るのです。

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大切な人は姿を変えてそばにいると思ってほしい

個々から話すことは決してスピリチュアルな世界のことではありません。

ただひとつの考え方としてあなたが大切な人の死を受け入れようとするときのヒントにしてください。

「○○をしなければ供養にならない」はありえない

供養という言葉の意味を紐解いてみると「亡くなった人の冥福を祈ること」となります。

一般的にはお供え物をしたりお坊さんにお経をあげてもらうことを「供養する」といいますが、本来の意味だけで考えればこの行為そのものは「供養の一部」にすぎません。

 

ただすでにこの世を去って行った人のことだからこそ、「せめてその人のためになれば」という気持ちがこのような行為を行う理由にあります。

つまりもっと大胆なことを言えば、「仰々しいことをわざわざしなくても、大切な人のことをいつも思っていれば供養になる」というわけです。

 

お墓参りに行けないことを気にする必要もない

お墓参りをしないと「供養が足りない」「供養する気持ちがない」といわれることがありますが、決してそんなことはありません。

お墓参りには2つの意味があります。

1つは「亡くなった人の魂を慰めるための行為」です。

でももう1つは「あなたの心が落ち着くための行為」なのです。

 

実は日本だけが「火葬の際に骨の形を残す」という独特の風習を持っています。

世界各国でも火葬が行われていますが、いずれの場合も骨はパウダー状になるまで火葬されます。

ですから遺族の手元に戻ってくる時はすでに骨の形はなく、パウダー状の遺骨を受け取ることになります。

 

なぜ日本だけがこのような特殊な方法を行っているかというと、「日本人が骨を信仰の対象として考えているから」にすぎません。

仏教に限らず日本人は、遺骨そのものにも亡くなった人の魂が宿っていると考えます。

そのため遺骨を安置している場所に足を運ぶことを「会いに行く」といいます。

つまりお墓参りをするのは、すでに姿形が変わってしまった大切な人に会い、そこで時間を共有することによって心の平穏をほんの少しだけ取り戻すことでもあります。

ですからお墓参りに行けないことが、供養と関係しているとは言えません。広い意味では供養になりますが、そのことに囚われる必要はないのです。

大切な人との別れに「いつまでに終わらせなければいけない」はない

私は仕事上たくさんの人のお葬式に立ち会ってきました。

そしてお葬式が終わった後も出来る限り足を運び、たくさんの遺族の苦しい気持ちを聞かせてもらいました。

もちろんほとんどの人が「せめて四十九日までは頑張っていかないとね」といいます。

私もその気持ちは大事だと思っています。

 

確かに時間が過ぎていくことによって少しずつではありますが、それまでの日常生活が戻ってきます。

でも決定的に違うのは、そこに大切な人の存在がないということです。

一緒に暮らしている人が亡くなったのであれば、食事をするたびにそのことを思い出すでしょう。

離れて暮らしていてもお盆や正月になると帰省していたのであれば、いつものようなにぎやかな宴の中に大切な人の姿がないことで改めて死を実感するに違いありません。

 

この感情は仕方のないものです。

たくさんの思い出を共有してきた人だからこそ、いくら時間が過ぎたとしてもふとした瞬間にそのことを思い出してしまうのです。

でもそれが「あなたの中で生き続けている」という証です。

 

あなたの中で大切な人が今もまだ生き続けているうちは、あなたが悲しみと別れることはありません。

それに人の心はそんなに単純には出来ていません。

いくら周りからアドバイスを受けたとしても、あなたの心が本当にそのことを理解し受け入れることが出来なければ出来ないのです。

大切な人との別れは、どれほど時間がかかっても構いません。

死ぬまで今の悲しみを持ち続けていてもいいのです。

それにあなたがこの世を去る時が来た時、あなたが大切な人とともに旅立つことが出来るのならばそれこそ素晴らしいことではありませんか?

まとめ

悲しみは乗り越えるものではありません。時間が解決するものでもありません。

それはあなたがたくさんの思い出を作ることが出来た人との別れだからです。

でも大丈夫です。

時間が経つことによって、心を締め付けるような激しい感情に振り回されることはなくなっていきます。

焦ることはありません、忘れることを頑張らないでください。

あなたは今でも十分に頑張っています。

そしてそのことを誰よりも理解しているのが、あなたの心の中を締めている大切な人なのです。

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