「人生の最後の時間をどのように過ごすか」は、終活を進める上で最大の問題であり最大の難問でもあります。
世間では「何も苦しまずにポックリ逝くのが理想」という意見が多くみられますが、本当にそうなったとしても残される家族の心には大きな心の負担がかかってきます。
でもいくら終活を進めていても、死に方まで計画立てて進めることは出来ません。
「自分の命があと何日・何時間あるのか」という質問の答えは、本人はおろか誰にも分らないのです。
でも「最後の時間をどこで過ごすのか」については、あらかじめ自分で意思表示をすることが出来ます。
では実際に終活でこの問題に取り組むとき、どのようなことを意識しながら考えていくのが良いのでしょうか?
最後の時間をどこで過ごすかは本人だけの問題ではない
「人生の最後の時間をどこで過ごすか」という問題は、あなただけの問題ではありません。
あなたに家族がいる以上、家族の問題でもあるのです。
「死を迎える」という準備は本人だけがするものではありません。
もちろん病気の状態によっては、余命の宣告を受けることもあるでしょう。
でも余命の宣告を受けたとしても、必ずしもその宣告通りにその時を迎えるとは限りません。
逆に余命宣告を受ける前にその時を迎えるかもしれません。
でも人は心を持っているだけに、「死」という出来事に対して不安を持っています。
それは「生きている人には体験することが出来ないから」です。
家族の看護は少しずつその時が来ることを受け入れるということ
「人の命がいつまで続くものなのか」という答えがないだけに、看護をする期間も人それぞれです。
病気が分かってから1ヶ月もしないうちにその時を迎える人もいますし、余命宣告を受けても宣告された期間よりもはるかに長い時間をかけてその時を迎える人もいます。
ですから病気に寄り添い看護する家族は様々な感情に対面しながら、その時が訪れるまでの時間を一緒に過ごします。
確かに病気の家族を看護するには、精神的にも肉体的にも大変です。
日々の生活に看護にあたる時間が加わるのですから、何事もなかった時のような時間の過ごし方とは変わってきます。
ただ生活のリズムの変化は、時間とともに少しずつ慣れてきます。
でもいくら看護生活に慣れてきたとしても、家族の心は病気が分かる以前と同じようにはなりません。
症状が良くなれば安心するかもしれませんが、その反面「また悪くなったらどうしよう」という感情もおこります。
逆に症状が悪くなれば「このまま自分を残して逝ってしまったらどうしよう」と思いつつも、「もっと自分が頑張らなければ!」という感情もおこります。
このように看護する家族は様々な感情を少しずつ積み重ねていくことによって、大切な人の命の期限が近付いていることを学んでいきます。
ただこれはあくまでも「その時がいつかはやってくる」ということを理解するための学びであり、その時が来た時にほんの少しだけ心が持ちこたえるための知識なのです。
突然の別れを体験した家族の心は「死」を受け入れるのに相当な時間が必要になる
突然大切な人を失った家族ほど、その現実を受け入れるのに相当な時間が必要になります。
看護や介護は確かに大変です。でもその経験を通して命に限りがあることを実感し、「どのようにしてその時が来るまでを過ごすか」と考えます。
ところが突然この世を去ってしまった場合、残された家族にはその経験が全くありません。
昨日までの毎日がこれから先もずっと続いていくと思っていたところに、突然大切な人の死が目の前にやってきます。
ただ残念なことに人の体は、生命を維持する機能を失った瞬間から腐敗が始まります。
ですから大切な人の死という現実をどんなに心が拒否したとしても、お葬式をしなければならないのです。
つまり姿形がこの世から無くなるということです。
死の現実を心が受け入れていないのにお葬式をするのですから、姿形が変わったとしてもその現実を受け入れることはそう簡単にはできません。
毎日の生活に何か変化が起きるというわけではないのに、そこには大切な家族の姿だけが消えてしまっているのです。
だから世間一般で言う「ポックリあの世に逝きたい」という会話は、本当はとても残酷な言葉なのだと分かってください。
「家族に迷惑をかけたくない」と本気であなたが望むのなら、「家族があなたの死を受け入れることが出来るために何が出来るのか」ということを考えてください。
それが本当の意味での終活なのです。
病気になっても最後の時間を自宅で過ごすことは出来る
「病気になったら病院で最期を迎える」というのが当たり前というわけではありません。
確かに以前は終末期における介護が自宅で出来る範囲は決められていました。
でも今はその範囲もかなり広がり、本人や家族が希望すれば自宅で最後の時間を過ごすことも出来るようになっています。
特に介護保険サービスが利用できる範囲が広がったため、介護保険制度を利用すれば経済的な負担も以前よりもはるかに減っています。
それだけに「在宅介護」のハードルは、以前よりも低くなっているのです。
もちろん在宅介護の方法にも様々なスタイルが出来たことも背景にあります。
「自宅での介護」というと、かつては全てが家族の負担となっていました。
でも今はショートステイを利用することもできますし、介護者にとって体に大きな負担となる入浴も介護サービスで訪問入浴を利用することもできます。
さらに介護サービスをうまく利用すれば、自宅での介護に必要となる介護用品のレンタルや購入も自己負担額を1割に抑えることもできます。
つまり今は「自宅での介護」も、かつての在宅介護よりもはるかにサービスの幅が広がっているのです。
あなたの意思を家族に伝える時に心がけてほしい3つのポイント
最期の時間を過ごす場所についての考え方がまとまったのならば、あなたのその想いを家族に伝えることが必要になります。
伝え方も様々な方法がありますが、どのようなシチュエーションで伝えるにしても忘れずに覚えておいてほしい「伝える時のポイント」が3つあります。
誰と過ごしたいかを伝える
「どこで最後の時間を過ごすか」については、本人の希望も尊重されますがそれと同じ位家族の希望も尊重されます。
そのため現実的な問題となった場合、どうしてもあなたの希望がかなえられないこともあります。
でも「最後の時間を誰と過ごしたいのか」という希望については、あなたが事前に家族に伝えることによってかなえられるはずです。
「最後の時間は家族と過ごしたい」という希望であれば、その希望を伝えられた家族は出来る限りあなたの希望をかなえられる場所を選ぶでしょう。
要するに「誰と過ごしたいか」ということは「どこで最期を迎えるか」ということでもあります。
ですから「場所」を特定するのではなく、「誰と」ということを指定することによって結果的にあなたが希望する場所が最後の時間を過ごす場所に選ばれるというわけです。
このような言い方をすれば、あなたの希望は家族の負担になりません。
また元気なうちに話を切り出したとしても、家族が不快に思うこともありません。
終活に対して良いイメージを持っていない人もいることを理解して!
「最期の時間の過ごし方」の先にあるのは、あなたの死であるということを忘れないでください。
いくら終活をしているといっても、すべての人が終活に対して良い印象を持っているとは限りません。
「最後の時間」と書くとなんとなく柔らかい印象に思えるかもしれませんが、専門的に表現すれば「終末期」です。
この漢字を見ればわかるように、最期の時間というのは必ず終わりが来るということを意味しています。
それだけにいくら血を分けた家族であっても、あなた自身が終活をすることに良いイメージを持っているとは限らないということをわかってあげてください。
このことを常に意識していることが、終活を成功させる一番のポイントといえます。
行動に移す時は出来るだけ家族と一緒に!
介護施設や有料老人ホーム選びをするのであれば、必ず家族と一緒にするように心がけてください。
死を受け入れることに時間がかかるのと同じように、子どもにとって親の老いを自覚するのには時間がかかるのです。
でもその準備を一緒に体験することによって、少しずつ子供や家族もその現実を受け入れていきます。
終活は自分だけでやるのではなく、家族みんなでやるものです。
そうであるからこそ本当の意味で「家族のため」になるのです。
まとめ
最期の時間の過ごし方を考えることは、自分の死を考えることではありません。
どのように過ごすことが自分らしい生き方なのかを改めて考えることであり、それこそが終活をする意味になります。