なぜお墓参りをするのかということについて質問をされると答えに困ってしまうケースもよくあります。
では、お墓参りにはどのような意味があるのでしょう?
またお墓参りをする時期や服装、持ち物などには知っておいた方が良いマナーがあるのでしょうか?
今回はそんなお墓参りに関するする素朴な疑問についてわかりやすく解説していきます。
お墓参りのマナーや作法はどんな目的でお墓参りをするのかで違う
お墓参りのマナーや作法について気になるという人も多いでしょうが、実際には「どんな目的でお墓参りをするのか」によってもマナーや作法は違ってきます。
「亡くなった人に会いに行く」なら時に作法は気にしない
お墓参りをする目的にも様々なものがありますが、「亡くなった人に会いに行く」という場合もよくあります。
この場合に、墓参りだからといって改まったことをする必要はありません。
生前好きだった食べ物や花を持っていくのも良いですし、何も持たずに墓参りをしたとしてもマナー違反ではありません。
ただ管理型墓地や合祀墓の場合は、ほかにもお墓参りをする人がいることは意識しておきましょう。
あまり派手な服装では、周りの人に不快感を与える場合があります。
また食べ物や生花などをお供えすることが禁止されている場合もあります。
その場合はルールを守ってお墓参りをするようにしましょう。
法要を兼ねたお墓参りの場合はきちんとした服装で!
親族が集まる法要の後にお墓参りをするのであれば、周りに不快な印象を与えないように服装にも気を付けましょう。
特に一周忌や三回忌は区切りという意味で服装を整えるのが一般的です。
ですから法要後にお墓参りがある場合でも、法要会場で失礼のないように準喪服を準備するのが良いでしょう。
ただし身内だけでの法要の場合は「改まった服装をする必要がない」といわれることもあります。
この場合は、わざわざ喪服を準備する必要はありません。
清潔感を意識したきちんとした服装を心がければ問題ありません。
お墓参りに必要な持ち物
故人の命日やお盆・彼岸では、お墓参りの際に墓の掃除をします。
ですからまずは掃除道具を準備する必要があります。
管理型墓園の場合は管理事務所で一式借りることが出来ます。
墓の掃除のあとにはお供え物をします。季節の果物やお菓子をお供えする時には、必ず半紙の上に置くので「半紙」は準備しておきましょう。
線香・ろうそくは、基本的に管理事務所でも販売しています。
ただ最近では様々な香りの線香が販売されています。
お供え物をするのと同じように、故人の好きな香りの線香を選ぶという人も増えています。
最近ではインターネットでも様々な香りの線香があるので、事前に準備しておくのも良いですね。
お墓に対する特別な想いの原点には日本人特有の考え方にあった
現在の日本では亡くなった人の体は火葬され、遺骨をいずれかの方法で安置するのが一般的です。
遺骨を安置する場所の代表的なものが「お墓」ですので、一般的な常識で考えれば「お墓=遺骨の安置場所」となります。
確かに現在の日本では、亡くなった遺体はほぼ100%火葬されます。
火葬が一般的となる以前は「遺体を土に埋める=土葬」が主流でした。
ところが日本における火葬の歴史を紐解いてみると、必ずしもそうとは言い切れない事実が見えてきます。
縄文時代の遺跡から火葬された骨が見つかっている
日本で火葬が始まった時期についてはまだよくわかっていません。
でも日本各地にある縄文時代の遺跡からは、火葬された後の骨が発掘されています。
その一つが京都府長岡京市にある伊賀寺遺跡です。
この遺跡は縄文時代のものといわれており、遺跡からは縄文時代後期に火葬されたものとみられる骨が出土しています。
縄文時代の遺跡から火葬骨が発掘されたという例は日本全国で報告されていますが、伊賀寺遺跡では火葬された複数の人骨を一つのお墓に葬られているという点に違いがあります。
こうした火葬後に共同で埋葬された墓の発掘は全国的に見ても非常に珍しく、当時の京都新聞でも記事として取り上げています。
記事によると遺骨の分析をしてみた結果、発掘された遺骨は遺体を火葬したものであることが分かったといいます。
しかも楕円形の共同墓に埋葬されていた遺骨は少なくとも9名分あったといいます。
埋葬されていた遺骨の年代も幅広く、10代後半とみられる骨もあれば少なくとも25歳以上40歳未満とみられる成人の骨も含まれていました。
伊賀寺遺跡のような発見は大変珍しいものではありますが、縄文時代にはすでに現代と同じような「火葬→遺骨を墓に埋葬」という習慣があったことが分かります。
記録上、日本で最初に火葬されたのはお坊さんだった
縄文時代の遺跡から火葬された遺骨がいくつも発掘されているものの、記録として「日本で初めて火葬されました」とはいえません。
実際に火葬された最初の日本人として名前が記録に残っているのは「道昭」という人物です。
実は、道昭は現在の大阪府堺市出身のお坊さんです。
舒明天皇の時代から文武天皇の時代に活躍した人物で、遣唐使として唐にわたった際に当時の中国で四大訳経家の一人であった玄奘の下で仏教を学んだといわれています。
帰国後は飛鳥寺の一角に禅院を建て、そこで寝泊りをしながら師匠から学んだ法相教学を広めていったといいます。
晩年は全国各地を回り土木事業にも携わったといわれていますが、72歳でこの世を去ります。
その道昭の遺体が「日本で初めて火葬された遺体」として平安時代初期に編纂された『続日本記』に記録されています。
万葉集の歌人も火葬された最愛の人のことを歌にしていた
万葉集といえば、現存する日本最古の歌集です。
その中に有名な歌人の一人である柿本人麻呂が詠んだ歌に火葬について触れているものがあります。
『陰口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ』
この歌は柿本人麻呂の最愛の人が亡くなり、箔瀬と呼ばれる山で火葬されているときの様子を遠くから見ている歌です。
この歌からは火葬によって山から空へと昇っていく煙を見て「あの山の空に漂う雲は亡き人の魂なのだろうか」と思いつつ、その様子を静かに見守っている人麻呂の様子がうかがえます。
すでに平安時代には天皇が火葬されたことに倣って、公家や上級の役人たちの間で火葬が広まっていました。
ただ日本には、神話の時代から亡くなった人の肉体には魂が宿るという考え方があります。
そのため火葬された煙に亡き人の魂を重ねて想いを寄せる日本人特有の表現がこの歌から読み解くことが出来ます。
実は世界的にみるといまだに火葬に抵抗のある国は多い
遺体を火葬するということは、実は宗教とも深い関係があります。
お釈迦様が入滅した時、その亡骸を火葬したことから仏教では火葬に対して好意的です。
そのため日本で初めて火葬をされたのも仏教のお坊さんでした。
ただ日本で初めて火葬された道昭の師匠がいた中国では、お葬式では儒教の考えが重要視されていました。
儒教では、死後の魂は2つに分かれるといいます。
一つは天に還るのですが、もう片方の魂は地に還るのです。
つまり「火葬をしてしまうと魂が地に戻れなくなってしまう」というわけなので、土葬が主流なのです。
ちなみに同じ儒教の精神を大切にする韓国でも、中国同様火葬よりも土葬が主流です。
では「キリスト教圏のアメリカやヨーロッパではどうなのか?」という疑問が浮かびます。
実はキリスト教圏ではいまだに圧倒的に土葬が主流です。
キリスト教では「人はこの世を去っても約束の地で復活する」という考えがあります。
そのため「火葬して体がなくなってしまったら復活できないじゃないか!」というわけなのです。
だからこそキリスト教圏では未だに火葬率が低いのです。
お墓参りとは実は日本独自の風習だった
様々な歴史や宗教的な考えが死後の風習にも大きな関係があることが分かったわけですが、ここで問題になるのが「ご先祖様の存在」なのでは?
確かに火葬の歴史にはお釈迦様の火葬が関係しているという説はあります。
ただもしもそのことが関係しているのであれば、お墓参りをする時に「ご先祖様に挨拶しに行こう」といういい方はちょっとおかしいですよね?
でもその疑問、実は正しいのです。
そもそも日本のお墓参りの習慣は、仏教としての意味よりも自然崇拝または先祖崇拝としての意味が強いのです。
かつて日本は農耕民族でした。
自然が相手の仕事ですから、豊作を願うためには自然の力に頼るしかありません。
そのため古くから日本人は自然の神様やご先祖様にお祈りをするのが習慣となっていました。
願い通り豊作となればご先祖様に感謝を伝えに行きます。
その時の場所がお墓。
そこに仏教の極楽浄土の考え方が結び付いてきたため、仏教で仏に感謝する日であるお盆とお彼岸にはお墓参りに行くという習慣が出来たわけです。
お墓参りをする時期がお盆とお彼岸といわれるようになったのも、こうした理由があったというわけです。
まとめ
本来のお墓参りの意味を知れば、「お墓参り、どうしよう?」と不安に思う必要はありません。
あくまでもお墓はあなたの心を落ち着かせてくれる場所です。
「うれしい出来事があった」「難しい試験に合格した」「結婚が決まった」という時に報告という意味だけでなく、力を貸してくれたことに対する感謝の気持ちを伝えればそれが一番のマナー。
お墓を身近な存在と考えることが、最もお墓参りで大事なことなのです。