親の余命宣告を受けると誰もが大きなショックを受けます。
でも家族だからこそその事実をどう受け止め、どのようにして残された時間を過ごすのかと考えます。
今回は見守る家族としての心の整理をつけ方や親との向き合い方のヒントを紹介していきます。
親の余命宣告を受けた家族はどうなる!?
親の余命宣告を受けた時、家族には強烈なストレスがかかります。
でもショック症状の現れ方には人それぞれ違います。
例えば何も考えられず何も集中できないような状況に陥ることもありますし、全身の感覚がマヒしてしまったような感覚に襲われることもあります。
フワフワした感覚に包まれているような気分になることもありますし、逆に何に対しても感情がわかなくなることもあります。
でもこれは大切な人を失うかもしれないという恐怖によっておこることであり、正常な反応とも言えます。
とはいえ家族として見守る上で一番気がかりなのは、やはり本人の気持ちのことなのではないでしょうか?
そこでまずは人が死と向かう時にどのような段階を経てその事実と向き合っていくのかを、キューブラロス博士が提唱した5段階の死の受容の過程から見てみましょう。
・否定と孤独
非常に大きな不安感に襲われるのが第一段階である「否定と孤独」の時期です。
ずっと先にあると思っていた自分の死が突然目の前に姿を現したことに驚き、残された時間について大きな焦りを覚えます。
それと同時に途方もない無力感に襲われます。
この異なる感情が同時に起こることもありますし、交互に現れることもあります。
・怒り
突きつけられた現実を否定する感情を持ち続ける持久力がなくなると、今度はそのエネルギーを「怒り」の感情として表現するようになります。
この時が見守る家族としては一番苦しい状況かもしれません。
怒りの感情の矛先がどこに向かうかはわかりません。
見守る家族に対して怒りをぶつけてくることもありますし、自分自身に矛先を向けることもあります。
ただしこの段階の感情表現は正しい反応です。
また否定と孤独の感情と怒りの感情を行ったり来たりすることもよくあります。
・取り引き
激しい感情の変化が少しずつ収まり「最近、昔の話や自分たちが小さかった頃の話をすることが増えてきた気がする」と思ったら、それは第3段階の「取り引き」の時期にきたといえます。
取り引きというのは、物質的なことではありません。
ある意味で自分の望みに「期限(上限)」をつけるという意味に近いです。
例えば「次の春を超すことはできないだろう」と医師から告げられたとしましょう。
つまり「春を迎えるまでの時間は残っていない」ということです。
そのため「もしも満開の桜が見られたなら(春を迎えられたなら)、もうそれ以上は何も望まない」という気持ちになります。
これが「取り引き」です。
この時期は、見守る家族としても「本人の希望をなんとかして叶えて上げたい」という想いがすべての行動の原動力になる時期でもあります。
「どんなに困難だといわれても、それが叶うのであればすべてを失ってもいい」という気持ちになるかもしれません。
つまりこの時期は見守る家族にとっても「取り引き」の時期を迎えているのです。
・抑うつ
「どんなことをしてもやはり死を遠ざけることは出来ない」ということを強制的にでも認めなければならない現実に直面します。
別れを前に強烈な不安に襲われることもあります。
孤独感に押しつぶされそうになることもあります。
ただそんな感情と真逆の行動をとることがあります。
場合によっては、わざと家族を遠ざけることもあります。
・受容
自らの死を穏やかに受け止められるようになるのが、第5段階である受容の時期です。
残された時間に目を背けることもなく、かといって怒りや激しい孤独に苦しむこともなくなっていきます。
精神的には最も穏やかな時期を過ごします。
ただ受容の段階に入ったとしても、心は常に動くものです。
再び否定や怒り、取り引きの感情に戻っていくこともあります。
余命宣告を受けた親に家族として出来ることとは?
・体に触れる
肌に触れる行為は、リラクゼーション効果もあります。
特別なことは何もありません。
おしゃべりをしながら手を握っているだけでもいいですし、痛みを訴える部分を優しくさすってあげるだけでも良いのです。
家族の温もりを直接感じることが出来るということは、本人にとって最も心が落ち着く瞬間です。
・相手の目線よりも下にいるようにする
相手の目線よりも自分の位置が低くなるように心がけるのも、心を落ち着かせる効果があります。
「どんな時でもそばにいる」ということを態度で伝えることが出来る一つのアイテムが「視線」です。
そのためにもあなたの方から寄り添ってあげてください。
・いつも通りを心がける
親である以上、子供であるあなたのことを心配しないことは絶対にありません。
少しでもそばにいたいという気持ちはあなたの親御さんには十分に伝わっています。
でもそのことであなたに負担をかけることになるのは避けたいとも思っています。
だから無理に頑張るのではなく、出来るだけいつも通りの生活を心がけるようにするということはとても大事なことです。
病気になる前の生活と同じように時間が過ぎていくのを感じるということは、少なくともその瞬間は病気のことを忘れているのです。
それも家族だからこそできることなのです。
・共感すること
本人が自分の死を受け入れる段階に入るまでは、心に浮かんでくる感情は様々なものがあります。
その感情の中には「怒り」という感情もあります。
その怒りの感情の矛先が家族に向けられることもあります。
でもそれは正常な状態なのです。
残念ですがこの感情を穏やかなものにするには本人でなければできません。
家族がいくらアドバイスをしても、それは伝わりません。
その役割を担うのがカウンセラーであり、臨床医であり、臨床宗教者なのです。
でも移り変わる感情を前にただうなずき、手を握り、共感をしてあげることは家族でなければできません。
「家族なのに出来ないことがある」ということを嘆くのではなく、「家族であるあなたでなければできないこと」を精一杯やってあげるのです。
それこそが家族だからこそできることです。
見守る家族として今のうちにやっておきたいこととは?
見守る家族としてやってあげたいことはたくさんあるはずです。
でも今だからこそやっておきたいこともあります。
・親の話をする
これまでたくさんの時間を過ごしてきたと思いますが、意外と知らないのが親である本人の話です。
「どんな子供時代だったのか」
「自分と同じくらいの年齢の時にはどんな風に過ごしていたのか」
そんな話も、きっと今までゆっくりと話をしたことはないのでは?
そんな昔の思い出話を少しずつ聞き出してみてください。
あなたの知らない親の人生が少し見えてくるかもしれません。
そしてそのことが、これから何度か訪れる重大な決断の時に役に立つかもしれません。
・本人が何を望んでいるのかきちんと聞いてみる
残された時間をどうするかということも、本人の意思疎通が出来る時に確認しておくことが出来ることは望ましいことです。
でもその話題を「積極的に聞かなければいけない」ということではありません。
本人が話すのを待ってあげてください。
そしてその時が来たら、話題をそらさずきちんと向き合う勇気を持ってください。
それも家族だからこそしてあげられることです。
まとめ
親の余命宣告を受けたとしても、家族として出来ることはまだあります。
逆にどんなに頑張っても家族では出来ないこともあります。
あなた自身の心が壊れてしまいそうになることもあるでしょう。
そんな時は無理をせずにあなた自身もカウンセリングを受けてください。
あなたの存在が変わらずそばにあることが、あなたの親御さんにとっては何よりも大きな心の支えになるのです。