普段から終活やお葬式、お墓、供養など「死」というキーワードの前後にかかわることについてかかわり続けている私ですが、今現在「嫁」という立場で同じ場面に立つことの難しさを経験しています。
義母が末期のガンだとわかってから間もなく半年。
「家族」というカテゴリーの中においてもそれぞれの立場によって見守り方が異なるということを改めて実感しています。
私が体験した「嫁の立場ゆえに抱える心の中のモヤモヤ」とその対処法を今回は紹介してみます。
嫁として受けた義母の余命宣告
私の義母が末期のガンであることを主人から伝えられたのは、ある日の夜、突然のことでした。
義母は数年前に定年退職をし、独身の息子たちの世話をしながらのんびりと自宅で過ごしていました。
特別なことは何もなく定年後の趣味といえば「息子の世話をすること」。
数年前に義父は他界していましたので、まさにのんびりと自分の時間を過ごしていました。
そんな義母はある朝体の不調を訴え、近くの総合病院に出かけたその日のうちに即入院。
そして主人を含めた息子たちは、医師からガンの可能性が高いということを伝えられたといいます。
なぜここまでの文章がすべて第3者的な目線で説明しているのかというと、そのことを私が知ったのは入院から1週間が過ぎてからのこと。
義母が入院することになったことももしかしたらガンかもしれないということも、すべて1週間も後になってから聞いたのでした。
・「嫁としての対応は人それぞれある」と頭ではわかっているけれど…
義母の病気を詳しく調べるために転院することが決まり、転院先の病院で検査を行った結果がんが見つかりました。
主人を含めた息子たちは医師から直接説明を受け、その日の夜になって私は初めて義母ががんであることを主人から聞きました。
その時の私はとても複雑でした。
実際に日頃から終末期を迎えた人の家族からの相談をよく受けている私としては、主人が私に告げる前に何となく義母の病気について予感がありました。
ただその病気の治療の先に「死」が見えた気がしていたので、主人から話してくることを待っていました。
もちろんこの対応が正しいとは思いません。
同じ嫁であっても、人によって対応の仕方は違うはずです。
たとえば「旦那の様子がおかしい時点で理由を聞く」という方法もあります。
また「入院を知った直後にお見舞いに行って様子を探る」という方法もあります。
ただ私の場合、「お葬式のプロ」という一面も持っています。
葬式屋さんはいざとなった時に何でも手配してくれる便利な存在ですが、「今という残された時間をどうやって過ごしていくか」と考えている家族にとっては縁起の悪い存在。
さらに私自身が「嫁」という立場にあることが、私にとっては一番の問題でした。
結果として私は「相手が言い出すまで待つ」という選択肢を選んだというわけです。
・「嫁」という立場は難しい
嫁という立場を改めて思い知らされるのは、何かしら大きな問題が起きた時が一番多いです。
もちろん問題が起きた時の対応によって、「この人と結婚してよかった」と思うこともあります。
でも心の中にモヤモヤが出来たときは、大抵「なんでこの人の嫁になったんだろ?」って思いませんか?
私はそう思いました。
「嫁の心得」
「嫁の務め」
「嫁の役割」
いろんなカテゴリーから客観的に自分の立場を考えてみようと思っても、所詮「嫁は嫁」なのです。
戸籍上で「嫁」は「家族の一員」という立場にありますが、そんなことも所詮は建前。
言葉で表現する「家族」と現実としての「家族」にギャップがないわけありません。
しかも大切な人の命に期限があるという現実を前にした時、「家族が一致団結してこの状況を乗り切る」なんてことは、言葉通りにうまくいくはずがありません。
・何かやっても、何もやらなくても、どうせ何か言われるのが「嫁」
義母とのかかわり方について自分なりに考えながらも「どうすれば主人を含めた息子たちの気持ちを尊重しながら見守ることが出来るのか」と答えの出ない問題に悩む時間が一気に増えた私。
でもそんな問題に答えがあれば、きっと誰も悩まないはずです。
そんな時に実の母から言われた言葉が、「何かやっても、何もやらなくても、どうせ何か言われるのが嫁なんだよ」の一言。
ケアマネージャーとして日々私のような家族と向き合っている母の一言は、私の心にできた隙間にスーッと入り込んできました。
そういわれてもまだ胸のモヤモヤはとれませんでしたが、「そんなに悩むことでもないか」と気持ちを割り切ることのきっかけをもらったような気がしました。
私の母の言葉は、嫁としての立場に悩むあなたの心にはどんな風に聞こえますか?
・価値観の違いは変えられない!相手を「外国人」と思ってしまえ!
結婚して夫婦として一つの家庭を作っている中でも、価値観の違いに悩むことはあります。
何しろ結婚した相手であっても所詮旦那は他人。
ただそこには「ただの他人」に対しては生まれてこない感情があるからこそ、夫婦としてやっていけます。
でも嫁ぎ先の家族や旦那さんのきょうだいとの関係が夫婦の関係のようにうまくいくとは限りません。
何しろ価値観が違うことを指摘したとしても、その指摘を受けて価値観を変えるなんてことは初めから無理なわけです。
無理なことに一生懸命あの手この手を使って挑んでみても、出て来る結果は期待しているものとは真逆のことです。
「それでも戦ってやる!」と挑み続けることにも意味があるかもしれません。
でも家族の命がかかっているこのタイミングでは、戦うことよりも潔く休戦協定を結んだ方が得。
私はそう考えて切り替えました。
そうはいっても心がモヤモヤするのは晴れません。
「日本人なら常識で考えれば…」という言葉がどこかに頭に残るのです。
だから思い切って「外国人と結婚した」と思うことにしました。
価値観も文化も言語も異なる外国人と結婚したと思えば、初めから合わないことを前提に考えられます。
その違いをすべて受け入れるのも一理ありますし、尊重しつつも自分の価値観を曲げないという選択肢もあります。
どんな選択肢でも「見えている常識」にとらわれなければ、何とか乗り越えることが出来ます。
私はこの方法で何とか乗り切っています。
心の中にモヤモヤで浮かんで来たら、「私の旦那は外国人、私の旦那は外国人」と呪文のように唱えます。
そのうち自分がこんな変な呪文を口にしていること事態がおかしく思えるようになってきて、気が付かないうちに笑ってしまっています。
そうしてフラットになった頭で、もう一度冷静に考えるようにしています。
義母の余命宣告を受けた「嫁」だからこそ出来ること
嫁は家族といっても、所詮血のつながりのない他人です。
でも嫁いでから新しい家族として付き合ってきた時間によって、ただの他人には感じない「感情」があります。
その感情は時に悩ませる原因にもなるのですが、感情があるからこそ「何とかしてあげられることはないかしら?」と考えます。
でもそこで「嫁の立場で」とか「嫁の務めとして」なんてことを頭につけて考えてしまうと、また負のスパイラルに突入します。
そこで考えたのが「他人だからこそできるおせっかい」です。
・嫁だからこそ程よい程度のお世話が出来る
実の親であれば、どうしても「出来る限りのこと」という想いが大前提になってしまいます。
でも嫁という立場であれば、そこまでのめり込むことはありません。
「やってほしいことがあれば手伝う」「手伝いが必要ではないことは手伝わない」というように、程よい距離感を保つことが自然にできます。
・愚痴を言う相手になるだけでいい
終末期を迎えた人は、いつでも周りに人がいてほしいというわけではありません。
時には一人きりになりたいこともありますし、時には愚痴を言いたくなることもあります。
でも自分のために一生懸命やっている家族には、そういう想いを伝えることはなかなかできません。
そんな時こそ嫁の出番です。
家族であっても一歩引いた状態で接することが出来るので、相手の望むように演技をすることもそれほど心の負担にはならないはずです。
だからこそ嫁にはこの役が適任なのです。
それに愚痴を聞くだけであれば、ほかの家族がその場を見ても「なんだ、嫁に愚痴を言っているだけか」と思われるだけなので、それ以上に変な詮索はされずに済みます。
それにあとから「何の話をしていたんだ?」と聞かれても「愚痴を聞いていただけよ」といえば済む話。
嫁なのですから、「家族以上でも以下でもなければそれで良し」なのです。
あなたの体に現れる不調はストレスが原因かも?
いろいろなことを想いながらもなんとか自分で気持ちをコントロールできるようになってきた頃、私は体調の悪さに悩むようになりました。
つわりのような吐き気や頭痛、めまいに加えて動悸や息苦しさ、のどが詰まったような違和感、指の震え、腹痛、下痢、ひどい肩こりなど正直言って「私自身が何か大変な病気になっているんじゃないか」と不安に思うような症状が次々と襲ってきました。
しかも内科を受診しても結果は「異常なし」。
吐き気や頭痛薬、下痢止めの薬などそれぞれの薬を大量にもらって帰るものの、結局何も改善しない毎日に正直参ってしまいました。
そこで思い切って心療内科を受診。
結果はうつ状態とのことでした。
・ストレスが原因でも内科的な症状が出ることはある
私自身、最初に「うつ」という言葉を聞いた時にはちょっとショックでした。
でもよくよく医師の話を聞いてみると「うつ病」と「うつ状態」は違うとのこと。
そしてストレスが原因で自律神経のバランスが崩れると、内科的な症状が出て来るということもわかりました。
薬を処方されて飲み始めると、あれほど悩まされていた数々の症状がピタリと治まります。
もちろん薬が切れると症状が復活するのですが、飲み続けることで症状を抑えられるということが分かっただけでも心は落ち着きます。
・ストレスの原因が解決すれば病気は治る
「どんなに頑張ろうとしても身体が拒否してしまうのがこの病気の特徴なんだよ」と医師からいわれたものの、薬に依存してしまうのではないかという不安は正直私にもありました。
でもこうした症状がおこる原因が解決すれば、ストレスが原因の病気は治ります。
看取り期は周りにいる側の人間であっても、心にストレスが出ます。
でも私のようにうつ状態になった時には、ストレス発散のために何かをすることにもやる気が出なくなります。
毎日同じことをただ続けるだけでも精いっぱい。
なにしろ休むにしても「休まなきゃいけない」と思ってしまうとそれがストレスになりますし、気分転換のために何かをするのもストレスになります。
逆に「何かをしたことの結果ストレスがなくなった」と感じるのであればよいのですが、何をするにしても頑張ること自体がストレスになります。
でもこの症状にはちゃんとお薬があります。
治らない病気ではありません。
だから私のように不安になるような体の症状が出た場合は、まずは心療内科を受診してみてください。
嫁として病気の家族のために何かしてあげたいと思ったとしても、この状態では何もできません。
それよりは「いつも通りのことが出来る」という状況を作るだけでも「支える」ということに近づくのだと私は思います。
まとめ
大事な人の最期の時間を過ごすことに、マニュアルがあるわけではありません。
まして嫁は「家族」でありながらも「血のつながりのない他人」です。
それだけに今もいろいろな問題を前に嫁として葛藤している人がたくさんいるのだと思います。
ただ私自身も経験してみて思うのは、「無理に常識にあてはめなくてよいのではないか」ということです。
「嫁であればこうするべき」「嫁の立場で」「嫁なんだから」と、いい方や表現の仕方は人によって様々あります。
でも嫁である前に、私もあなたも一人の人間です。
同じ人はこの世にいないのですから、同じ考えの人もこの世にいません。
それなら人として自分が思う事を貫けばいいのではないでしょうか?
まずは今、目の前にある事に人としてきちんと向き合えば、それがいつかは嫁の務めを果たしたことになるのだと私は思うのです。
今のあなたならどう考えますか?