最近はお葬式にも個性が欲しいという人が増えてきています。
価値観やお葬式に対する考え方や環境も変わっていますので、昔ほどしきたりを気にしなくても良くなったということも一つの理由にあります。
またこれまでタブーとされてきたお葬式業界も「終活」がブームになったことによってスポットが当たるようになり、いろいろな情報がネットなどで大量に出回るようになったこともお葬式のスタイルが増えた背景にあります。
でもお葬式の現場で立ち会っていると、「これは最悪だ…」と思うこともあります。
「どうしてこうなった?」と思うこともありますし、「理不尽だ…」と思うようなクレームを突き付けてくるお客さんも増えてきました。
そこで自分らしいお葬式について考えているあなたに、現場スタッフの私が「これは最悪だ!」と感じたお葬式を実例で紹介します。
お葬式はお金がすべてではないがお金も必要
お葬式は良いも悪いも「家族次第」です。
私は葬儀ディレクターとして受注から担当するので、病院から引き取りをして最初に行う仕事が「打ち合わせ」になります。
葬儀を依頼した家族が葬儀社と最初に打ち合わせをするのは、「どんなお葬式をどのような規模で行うのか」ということがメインになります。
ですから当然打ち合わせの中では「お金」の話がメインになります。
ただお葬式でお金の話となると、誰だって身構えますよね?
何しろ「お葬式にかかる費用は高額だ」というのが一般論です。
財団法人日本消費者協会が3年ごとに発表しているアンケート調査の結果によると、葬儀費用の全国平均額は199万8,861円なのだといいます。
もちろんこの平均額は最高額が800万円越えとなっているため、平均額を大きく引き上げていることも要因にあります。
また地域によっても相場が違うので、地方では平均100万円以下という地域もあります。
ただそうはいってもわずか数時間の打ち合わせで百万円単位の契約をするわけですから、「葬儀屋の口車にのせられてぼったくられてたまるか!」という想いがふつふつと沸き上がってくるのは個人的にも理解できます。
確かにお金があればあなたのイメージ通りのお葬式が出来るでしょう。
でもお葬式は「お金がすべて」ではありません。
その反対にお葬式では「安く抑えられればよい」というものでもありません。
お金にまつわるお葬式の「こりゃダメだ!」な話はたくさんありますが、私が担当した中でも特に「最悪だ…」とため息をついた2つのお葬式を紹介します。
見栄のために金は出すが故人のことは一切無視
私が違和感を持ったのは、指定された病院に到着し依頼主である家族と最初に対面した時です。
談話室でテレビを見ながら談笑している50代の夫婦が依頼主だったのですが、声をかけると「ああ、葬儀屋さんね。じゃあ自宅まで運んでくれる?」とかなりあっさり。
拍子抜けしたものの指定された病室にストレッチャーを持ち込むと、誰もいない部屋でベッドに一人眠っているおばあちゃんがいます。
依頼主の夫婦は病室にも入ってきません。
「事情があるのかしら?」と思いつつもおばあちゃんを手渡された住所を頼りに自宅に向かうと、そこは高級住宅街の中にある豪邸でした。
自宅で安置する場合、一般的には仏間が安置場所です。
そのため自宅って奥にある仏間に庵利用の布団を広げようとした瞬間、「葬儀屋さん、そっちはやめて!こっちにして!」と止められます。
慌てて奥さんの後ろについていき案内されたのが6畳ほどの小さな部屋。
広いリビングや仏間と比べると、案内された部屋は物置のような狭さの部屋です。
それでも言われたとおりに布団を準備しおばあちゃんを安置し終わり、焼香の準備を整えます。
準備が終わり振り返ると、なんと先ほどの奥さんがそこにいません。
「え?」と思って通ってきたリビングを覗くと、夫婦2人ですでにくつろいでいます。
「焼香の準備が整ったのでどうぞ」と声をかけたのですが、返ってきた言葉は「そんなことより早く段取りを決めて頂戴」。
さすがにムカッと来たのですが依頼主がそういうので、そのままリビングで打ち合わせをします。
ただ打ち合わせもとにかく簡単でした。
依頼主からの希望は「お金はいくらかかってもいいから、出来るだけさっさと終わらせたい」というのです。
もちろんお葬式のプランにもランクがあるのでその説明をすると、「一番上のプランでいいから、あとは全部お任せするわ。私たちはほかのことで忙しいから」と。
どんな事情があるのかはわかりませんが、死亡診断書を見ると亡くなったおばあちゃんは奥さんの実の母親だったのです。
旦那さんは婿養子だったらしく、自宅は奥さんの実家でもあったのです。
だからなのか、旦那さんは打ち合わせに一切かかわりません。
結局唯一の希望である「一番上のプラン」ですべてを手配したおばあちゃんのお葬式は、誰が見ても立派なお葬式になりました。
最高ランクのお葬式ですから、棺も祭壇も何もかもが最高級です。
通夜ぶるまいの食事も一番高いメニューを選んでもらいましたし、戒名も相当立派なものになりました。
私は病院引き取りから打ち合わせ・葬儀終了までずっと担当していましたが、正直言ってこの時のお葬式ほど「むなしいなぁ」と思ったことはありません。
棺が祭壇の前に置かれても、夫婦がおばあちゃんの顔を覗き込む姿はありません。
弔問客が来たときには目頭を押さえるそぶりは見せますが、弔問客が退室する時には一緒にその場から離れてしまいます。
弔問客からは「これだけ立派に送ってあげるのだから、お母さんもきっと喜んでいるわね」と声を掛けられると、涙をこらえるようなそぶりを見せる奥さんの姿があります。
これだけを見るとどこにでもあるお葬式の風景なのですが、奥さんの裏の顔も見ている私はとても複雑です。
とはいえ無事全て滞りなく終了し、集金もお葬式が終わった翌日にはすぐに完了。
集金が終わり席を立とうとした私は、「そちらに頼んだおかげで手間がかからなくて助かったわ」と声をかけられます。
このセリフを満面の笑顔で言ってきたのは、「故人の実の娘」であり「依頼主」である奥さんです。
お葬式の最中には「この人にも何らかの事情があったに違いない」と自分に諭して何とか乗り切りましたが、「手間がかからくて助かった」という一言を聞いた時にはカチンときました。
もちろん私もプロですから「お役に立てて光栄です」と返しましたが、心の中では「もう二度と頼んでくるな」と思ったのでした。
会葬者のおもてなしを無駄と切り捨てすべてカット
お葬式は「亡くなった人のため」といいますが、これは正しいとは言えません。
お葬式は「残される人のため」が本当の意味です。
残される人は「家族」だけではありません。
亡くなった人と縁のあった人はすべて「残される人」です。
ですからお葬式には家族だけでなく親族や故人の友人・知人も参列します。
もちろんわざわざ足を運んでいただくのですから、遺族としておもてなしをするのが一般常識です。
香典を準備していただいたことへのお礼として返礼品をお返ししますし、通夜式に参列した人には通夜ぶるまいでおもてなしをします。
ただこれらは実際に来ていただいた方に対してのお礼なので、不足のないように準備をするというのがお葬式の基本です。
返礼品は使用した個数分の支払いなので特に問題はないのですが、通夜ぶるまいは仕出し料理なので途中でキャンセルはできません。
余ったとしても注文した人数分の料理代は請求されるので、予測した会葬者の人数と注文数にできるだけ誤差をださないようにするのが費用を抑えるポイントではあります。
そのため打ち合わせでは、訃報連絡の範囲などを確認しながら負担が大きくならないように注文数を調整します。
ところがお金のかけ方のポイントを間違えると、こんなとんでもないお葬式になることがあります。
この時の家族は、確かに亡くなった故人に対する愛情の深さは感じられました。
生前故人が大好きだった演歌を聞かせたいといって自前のCDカセットで一晩中聴かせていたり、フルート奏者という孫が故人のために曲を演奏していたりしました。
またこどもや孫・ひ孫がかわるがわる棺の側に寄り添うようにしていましたし、葬儀スタッフである私たちにも「大変ですね、ご苦労様です」と気遣ってくれるので私たちとしては「とても良い家族」だったわけです。
ただこの家族のお葬式では打ち合わせの段階で一つだけ気になる点がありました。
それが「通夜ぶるまい」です。
家族葬で行うとはいえ親族は同じ県内に住んでいるということだったので参列者を30名と想定していたのですが、通夜ぶるまいの料理に関しては「無駄なものは出来るだけカットしたいので食事は自分たちですべて手配します」といわれたのです。
もちろんこのようなケースは別の家族でもたまにあることなので特別なことではないのですが、「ドリンク類は出た本数で計算できるので、ご準備しましょうか?」と訊ねたると、「それも無駄になるので私たちで準備します」といわれたのでさすがに「え?」と思ったのです。
確かに食事を自分たちで準備するケースはあります。
ただドリンク類は足りなくなった時が困るので葬儀社に手配するのがほとんどです。
だから「全部自分たちで準備する」という点が引っかかって仕方がなかったのです。
その予感は通夜式の時に的中します。
通夜式に合わせて親族20名ほどが集まっていたのですが、読経後通夜ぶるまいの部屋に案内すると準備するといっていたはずの料理が見当たりません。
テーブルには子供が好きそうなジュースのペットボトルとお茶、それにコンビニのおにぎりなどがレジ袋に入ったままの状態で置かれています。
ほかには小さな子供たち用にハンバーガーやポテトなどがあるだけで、参列者へのおもてなし用の食事として出せるものは何一つありません。
さすがにその様子を見た親族の人は、しばらく部屋をのぞいたものの席に座ることなく退室。
ただ誰かに文句を言いたくなったのか、帰り際に出口付近にいた私に「おたくの会社では通夜の料理の準備はしないのかね?」と嫌味をチクリ。
事情を伝えると納得してくれた上に「あなたが悪いわけじゃないから、すまなかったね」と言ってくれましたが、担当として立ち会っている私は恥ずかしくて仕方がありません。
結局通夜ぶるまいの部屋に焼香を終えた弔問客が入ることはその後もなく、早々に帰宅していったのです。
亡くなった故人に対しての想いは十分に伝わるのですが、「誰のためのお葬式なのか」と「お金のかけ方」のポイントが大きくズレたこの家族は私の記憶に残る「最悪なお葬式」の一つになってしまいました。
まとめ
お葬式の失敗談・残念なハプニングは数多くありますが、今回は自分らしいお葬式を考えるあなたのために「これだけは絶対にダメなお葬式」の代表例を2つ挙げてみました。
お葬式の場合、お金をかければ良いお葬式になるというわけではありません。
またお金の使い方のポイントがズレているのも良いお葬式とは言えません。
どんなお葬式をするにしても「誰のために何をするお葬式なのか」が一般常識から外れていなければ、基本的に良いお葬式になります。
ただそれから大きく外れているお葬式は、施主がどんなに満足しても周りから見ると「最悪なお葬式」といわれる可能性があるということを覚えておいてください。