ここ数年、お葬式に関する情報がどんどん増えています。
「終活」がブームになったことによって、それまでは「身内のお葬式」のための事前相談や「自分の葬式のため」の事前相談が増えるようになりました。
葬儀の現場をトータルで担当している私は、事前相談にも立ち会いますし葬儀の現場も担当します。
そして葬儀が終わった後のアフターフォローも担当します。
それぞれの現場に立ち会いリアルな感想を直接きく立場にいる私が言えるのは、「後悔しないお葬式はない」ということです。
今回は私がお葬式を担当したお客さんが語った、お葬式の後の「後悔」について紹介します。
葬儀経験者のリアルな感想を知ったうえで、今一度あなたらしいお葬式について考えてみてください。
お葬式での後悔で一番多い意見ってなに!?
お葬式では「慌ただしくてゆっくりお別れが出来なかった」という意見がが最も多いです。
お葬式はかつて「三日間戦争」といわれた時代があります。
亡くなってから葬儀が終わるまでの平均期間が三日でしたし、今のように葬儀の規模を家族の希望で決められるものではなかったので途切れる間もなく訪れる弔問客の対応に追われているうちにお葬式が終わってしまうというのが一般的でした。
そもそも冠婚葬祭は、親戚づきあい・近所づきあいでは欠かせないものです。
結婚式のようにあらかじめスケジュールが決まっているものであればそれなりに準備もできますが、人の死がかかわるお葬式はある日突然やってきます。
それでも「付き合いを大事にする」という日本人ならではの考え方とお葬式にまつわる風習・慣習が根強く残っていたため、一般的なお葬式でも参列者の範囲がとても広かったのです。
ただこの時代のお葬式は「お付き合いの延長」として参列する人も多く、故人を直接知らない人も弔問に訪れていました。
それでも弔問客の対応は喪主をはじめとする遺族の役目です。
ですから規模が大きくなれば、家族は必然的に故人と過ごす時間を削られてしまうのです。
20年以上前はこのスタイルが一般的でした。
異論を唱える人もいませんでしたし、それを口にする人もいませんでした。
でも時代と共にこれまでの葬儀の在り方に対して直接声をあげる人が増えてきます。
そのため「お付き合いがない人の対応に追われお別れが出来ないのであれば、故人を直接知る人とゆっくり最期の時間を過ごしたい」という人が増えました。
それと時を合わせて葬儀に対する風習・慣習が薄らいできました。
その結果、お葬式の規模も徐々に小さくなっていきます。
このような時代の流れから生まれたのが「家族葬」です。
でも「家族葬」という言葉のイメージと実際のお葬式は違います。
この違いが「お葬式が終わった後の後悔」につながります。
・家族葬であっても一般的なお葬式の流れと変わりはない
家族葬と聞くと「家族で送るお葬式」というイメージが浮かんでくるかもしれません。
確かにそれは正しいです。
実は規模が大きなお葬式に対して否定的な意見が世間一般に増えてきたことで、葬儀業界は大きな変換を迫られた時期があります。
これまでは規模が大きかったので必然的に葬儀費用も高く設定できたのですが、規模が小さくなればそれまでと同じ方法では売り上げが下がります。
しかも年々葬儀社の数は増えていきましたので、生き残りをかけて新しい葬儀のスタイルを提案しなければ勝ち残れなくなったのです。
そこで目を付けたのが「家族」という言葉です。
家族という言葉が付くと、それまで堅苦しいイメージしかなかった葬儀のイメージが一気に柔らかくなります。
しかも事細かに説明をしなくても「家族」という言葉を使うことによって受け取る側は勝手に「家族で送るお葬式」と勘違いしてくれます。
そもそもそれまで親族や地域の人を含め大勢の人が参列するから規模が大きくなり、結果として葬儀費用が高くなったというイメージがどこかにあるわけです。
でも家族で行うお葬式であれば規模もイメージが出来る範囲にまで絞られますから、お葬式の規模も必然的に小さくなります。
「規模=葬儀費用」というイメージがあるからこそ、小規模な家族葬なら費用が抑えられると考えるわけです。
ただ残念ながらこれは正しくはありません。
家族葬といっても葬儀の流れに違いはありません。
葬儀を行う上での儀式も必要になる備品も、一般的なお葬式と変わりません。
ですから必要になるお金は変わらないのです。
さらに規模が大きな葬儀の時代は、弔問客の対応も親族が手伝ってくれました。
ところが参列者の範囲を家族が限定するのですから、参列者の対応は遺族が行わなければいけません。
つまり規模が小さくなっただけで、喪主や遺族がやらなければいけないことは何も変わらないのです。
家族葬を経験した人の多くがこの違いを理解していないまま葬儀をおこなってしまうため、お葬式が終わった後に「家族葬でお葬式をしたのに、結局慌ただしいままでゆっくりお別れをすることが出来なかった」と後悔するのです。
お葬式での後悔で多い意見「もっと・・・」
・持たせてあげたかった着物があった
副葬品には故人の愛用品を準備するのですが、その中にお気に入りの洋服を準備する人が多いです。
ただ高齢で長いこと施設に入所している場合、荷物のほとんどが施設に預けられているので慌ただしい葬儀の合間に荷物を取りに行けないことがあります。
このようなケースでよく耳にするのが「お気に入りだった着物を最後に持たせてあげたかった」「母の日にプレゼントした洋服を入れてあげたかった」などの言葉です。
・たくさん写真を撮っておけばよかった
遺影写真選びをする時によく耳にするのが「写真がない」という話です。
写真が嫌いだったという人の場合は「仕方ないね」で家族も納得できるのですが、カメラを向ければ気さくにポーズをとるタイプの人の場合は違います。
ただ写真を撮るタイミングは「何かの記念」として撮ることが多いですよね?
だからお葬式になって写真を探す段階になって初めて気が付くのです。
「もっといろいろなところに連れていけば写真だってもっとたくさんあったはずなのに…」と。
そして元気なうちにそのことに気が付けなかった過去の自分に対して深く後悔するのです。
お葬式や葬儀の場だったから・・・
お葬式だからやってはいけないと思ってしまい、やりたいことが出来なかった
・写真を撮っておきたかった
亡くなった人の姿や葬儀式場の様子を記録として写真に撮っておきたいと思っている人が多いですが、ほとんどの人が実際に写真に撮らないまま後悔しています。
その大きな理由が「お葬式だからやってはいけないと思った」です。
私が現場を担当するときは、棺に納める前の姿やお葬式の間の出来事を写真で撮っておくことを勧めます。
特に納棺する前の姿を写真で残すことを勧めています。
最近の棺には納棺した後も棺の側面の一部に窓が付いていて横顔を見ることが出来る棺もありますが、このような新しい機能が付いている棺は数が少ないうえに高いです。
ですから一般的な棺に納棺されると、もう2度と横顔を見ることはできません。
訃報を聞いても遠く離れた場所に住んでいれば、近い家族であってもすぐに駆け付けられません。
ようやくたどり着いた時にはすでに納棺されていて、顔を正面からしか見ることが出来ません。
さらに事情があってどうしてもお葬式に参列できない人もいます。
故人と近い関係であればあるほど、「どんなお葬式になっているのか?」「どんなふうに送っているのか?」「最後の顔はどんな顔をしていたのか?」など様々な想いを抱えているはずです。
でも今は通信機器が発達してくれたおかげで、写真をメールで送って見せることもできます。
またビデオ通話機能を使えば、葬儀や通夜の様子を遠く離れた場所からタイムリーに見ることもできます。
ただほとんどの家族は葬儀スタッフの方から「写真や動画をとっても良いのですよ」といわれない限り、「やってはいけないこと」と思い込んでいます。
だからあとから「記録として写真を撮っておけばよかった」といいます。
・写真を持たせればよかった
遺品の整理をしている時によく耳にするのが「古い写真の処分」です。
古い写真といっても写真に写る人の存在を残された遺族が認識しているのであれば問題はありません。
でも遺族が知らないご先祖様の写真となると、どのように処分してよいのか悩む人が多いです。
このように残される家族が処分に困るような古い写真がある場合、一番良いのは「生前に自分で整理すること」です。
でも亡くなった後に写真が見つかった時は、「副葬品として棺に入れる」という方法があります。
ただお葬式が終わってから遺品を整理した時にこうした古い写真が出て来ると、残された家族としてはどのようすればよいのか正直困るのです。
処分した方がよいのか、それとも残しておいた方がよいのか判断が出来ないのです。
遺品の処分については、写真以外にもあります。
そのため「元気なうちにどんなふうにしてほしいのか、きちんと聞いておけばよかった」と後悔する人も多いです。
まとめ
後悔をしないお葬式にするためにはいろいろと事前の準備が必要だといいますが、葬儀の現場に立ちその後の家族の話を聞いていると必ず後悔の言葉が出てきます。
でもその後悔もお葬式でよい記憶が少しでも残れば、「あのときの自分たちにできる精いっぱいのお葬式をしたのだから、きっとその思いはわかってくれるはず」に変わります。
だから思うのです。
「大切な人を見送った人が後悔しないことはない」と。
でもその時の想いを前向きに受け止め思い出としてきちんと記憶に残すためには、お葬式での記憶が関係するのです。
だからこそあえて私は「後悔しないお葬式をしてほしい」といいます。