お葬式は、結婚式以上にやってはいけないとされる「タブー」が多いです。
でも人の死が関係するセレモニーがお葬式ですから、元気なうちからお葬式について勉強する人の方が圧倒的に少ないです。
そのため、いざその時が来た時に周囲から「それはお葬式のタブーだよ!」とか「そんなことするのは非常識だよ!」といわれると、あなたの本心とは違うことであっても「みんながそういうなら従うしかない」と思い込みいろいろと諦めてしまいます。
でもお葬式には基本、「やってはいけない」というルールはないのです。
大切な人のお葬式を後から後悔をするくらいなら、たとえ一般的に「タブー」といわることであってもやっていいのです!
もちろんタブーといわれることには意味があります。
でもそれはかつての日本人が持っていた死生観や価値観をもとに作られたものです。
今はお葬式に対する考え方も人の価値観も死生観も、人や世代によってそれぞれ違います。
だから「お葬式でやってはいけないこと」なんてことはないのです。
今回は、あえてこのように断言する理由を、分かりやすく例を挙げながら説明していきます。
お葬式をするのは故人の為でもありあなたの為でもある
お葬式屋さんのパンフレットやテレビコマーシャルなどを見ると、「大切な人のためのお葬式」なんて言葉をよく目にしますよね?
確かにお葬式は、大切な人が死んでしまったことによって行うセレモニーです。
でもお葬式が本当に死んでしまった人のためだけにあるのなら、「お葬式だからこそ火葬される瞬間まで家族がずっとそばについている」が本当のお葬式なはずです。
でもお葬式では、家族なのに故人から遠く離れた遺族席に座らされお坊さんのお経を聞かされたり、お葬式に来てくれた親族や弔問客の対応に追われて最後まで故人の顔をゆっくり見る暇がなかったりします。
もしもこのようなお葬式が「大切な人のためのお葬式」というのであれば、それはウソです。
人は「死にたくて死ぬ」のではなく、「死が訪れたから死ぬ」のです。
何が原因で死んでしまったとしても、その人が「死にたくて死ぬ」ということはありません。
もっと突っ込んだ話をすれば、死んだことが原因で家族と離れることを誰よりも辛く思っているのが「亡くなった故人」であるはずなのです。
ただし残念なことに、この世の中に生きているうちに「死ぬ」という体験をした人は一人もいません。
たとえ「あの世の世界が見えた」「死ぬ思いをした」という人がいたとしても、実際に「死ぬ」という体験はしていません。
だから死んだ人がどう思っているのか、何を考えているのかを実体験を通して直接生きている人に話してくれる人は、この世に存在しないのです。
だから「大切な人のためのお葬式」という言葉が、「本当にその通りなのか」「ただの思い込みなのか」という疑問の答えも誰にもわかりません。
そしてそのことをあなた自身が強く思ったとしても、決して人として間違ってはいないのです。
お葬式は残されるあなたのためにある
お葬式は「あなたが大切な人の死を受け入れるための初めの一歩」です。
お葬式にまつわるいろいろな儀式は、その為の補足にすぎません。
ただ「あなたのためのお葬式」というのなら、「大切な人が火葬される瞬間になぜ立ち会わなければいけないのか?」と思うはずです。
確かにこの瞬間は、家族であるあなたにとって最も辛い瞬間です。
でもそこに立ち会うことによって、「もう2度とこの世界で顔を見ることは出来ない」ということを初めてあなたが実感します。
これが「死を受け入れるための大事な一歩」です。
そしてどんなにあなたが一生懸命お葬式のために頑張ったとしても、必ず何かで後悔をします。
でもその時に「お坊さんに立派な戒名を付けてもらった」「花でいっぱいの祭壇で送ってあげられた」「たくさんの人がお葬式に来てくれた」などのお葬式の記憶が、その時の後悔を少しだけ和らげてくれます。
大切な人が亡くなった悲しみは、あなたの中から消えてしまうことはありません。
ただ時間が過ぎていくことによって、胸が締め付けられるような痛みや苦しみは少しずつ薄らいでいきます。
世間ではこのことを「死の悲しみを乗り越えた」と表現しますが、大切な人の死の悲しみを人が乗り越えることは出来ません。
ただその事実を受け入れることが出来るようになることによって、激しい胸の痛みや苦しみから解放されるだけです。
そのために必要なのがお葬式です。
だからこそお葬式は、「亡くなった人のためのお葬式」であると同時に「あなたのためのお葬式」でもあるのです。
お葬式の費用はそれぞれ儀式の意味が分かれば納得できる
「お葬式にかかる費用が高い」と感じるのは、「満足できないお葬式だった」ということと同じです。
いくら安い費用でお葬式が出来たとしても、あなたが満足していなければ「高いお葬式だった」と思うはずです。
でもこれだけでは「なぜ安いお葬式で満足できないのか?」という疑問が浮かびますよね?
その答えは「あなたがお葬式で行われた様々な事柄の意味を理解していないから」に尽きます。
本当に必要だと思えたならどんなものでも高いとは思わない
あなたが「お葬式は高い」と思うものは、「何のために必要だったのか?」と思う事に集中するはずです。
例えば仏教式でお葬式をすると、必ずお坊さんから戒名を貰います。
でもこの戒名の本当の意味が分からなければ、「なんでお葬式のためにお坊さんを呼んだだけなのにこんなに高い戒名料を請求されなくちゃいけないんだ?」と思うはずです。
でも戒名は、ただの仏教式の名前ではありません。
いずれは仏さまとなる人の名前ですから、この世に決して同じものはありません。
それは仏教の考えで「仏さまは唯一無二の存在」という考えがあるからです。
仏さまになるための名前が戒名なのですから、四十九日間に及ぶ仏さまになるための修業が終われば「人は仏さまになる」と考えるのが仏教です。
(※宗派によっては考え方の違いがあります)
つまり仏さまは特別な存在だからこそ、同じ名前はないのです。
もちろん戒名をつける時には決まり事もたくさんあります。
それでもその決まりを守りながらも、今後残された家族や子孫を守ってくれる立派な仏さまとなるように一生懸命お坊さんが考えるのが戒名です。
このように簡単に説明しただけでも、あなたのイメージの中で「戒名はただ高いだけの存在」ではなくなってきたはずです。
ただ最近のお坊さんは、戒名の意味をきちんと説明してくれない人も増えています。
場合によっては戒名の読み方すら教えてもらえないこともあります。
これでは戒名料が高くなる意味が分かったとしても、あなた自身がその費用に納得することはないでしょう。
これは何も戒名料に限ったことではありません。
お葬式における不信感や不満足は、「あなた自身がなぜ行う必要があるのか」という疑問にきちんと理由を知った上で納得していないから起こるものです。
ちなみに「お葬式だから○○しなければいけない」とか「タブーになるからやってはいけない」ということに対してあなたが納得していないのも、同じ理由からきています。
理由が分かった上であなたが納得出来ていたなら「○○だから」「タブーだから」といわれたとしても、そのことが理由でお葬式について後悔することはないはずです。
これこそが、お葬式で後悔しないための大切なポイントなのです。
お葬式で後悔しないためのポイントは!?
お葬式で後悔しないためのもう一つのポイントは、「亡くなった人ならどうするかな?」と常に考えることです。
お葬式屋さんとの打ち合わせでは、必ず担当者から「どのようなお葬式を希望していますか?」と質問されます。
この時に「普通のお葬式でお願いします」と答える人が多いのですが、この回答が一番後悔する原因になります。
そもそもお葬式における「普通」は存在しません。
「一般的なスタイルのお葬式」という表現はありますが、人の死が関係するお葬式において「普通」という言葉のそのものが存在しないのです。
例えば「あなたのお父さんはどんな人でしたか?」ときかれたとしましょう。
その時の質問に、あなたは「普通のお父さんでした」と答えるでしょうか?
それはきっとあり得ないでしょう。
あなたとお父さんには、様々な思い出があるはずです。
良い思い出もあれば嫌な思い出もあるでしょう。
そんなお父さんとの思い出のすべてを、「普通」というたった一言で片づけられるでしょうか?
つまり「お葬式は普通が一番」というのは「あなたと亡くなった人を繋ぐ想い出が一切ない」ということと同じです。
もしもそうだとしたらどんなお葬式をしたとしても、お葬式のことで後悔をする心配は全くありません。
でも大切な人とたくさんの思い出があるあなただからこそ、どんなに一生懸命頑張ってお葬式をやったとしても必ず何かで後悔します。
でもそんな時に「あの人だったらきっと私がしたようにやっていたはず」と思うことが出来たら、あなたの心が少しだけ穏やかになります。
だからこそお葬式では「あの人ならどうするかな?」と常に考えていくことが、結果として後悔をしないお葬式になるのです。
まとめ
お葬式は、もちろん大切な人のためにするものです。
でも大切な人のためだけのお葬式ではありません。
あなたのためのお葬式でもあり、亡くなった人と付き合いのあった全ての人のためのお葬式でもあります。
もちろん何らかの宗教のスタイルでお葬式をするのであれば、必ずやらなければいけない宗教儀式があります。
でもそれすらも必要ないと思うのであれば、宗教儀式が一切ない「無宗教式」という方法があります。
ですから「お葬式だからやってはいけない」は決してないのです。