おでこに白い三角の布をつけているのを見ると、どうしても幽霊のイメージが浮かんできませんか?
たしかにお化けの絵を描く時や古い幽霊の絵などには、おでこに白い三角の布をつけているのをよく見かけます。
実は現代のお葬式でも、この三角の白い布を使うことがあります。
ただしこの三角の布の意味を知っている人はあまりいません。
それだけに小さな子どもが見ると、「三角の布=お化け」という印象が強すぎてしまい顔を見るどころかそばに寄ることも嫌がります。
だからお葬式の現場では、孫がおじいちゃんやおばあちゃんのおでこに三角の白い布がついているのを見るだけで「こわい!いやだ!」といって泣き出すこともよくあります。
でもお葬式の儀式の中で必ず必要になる物だけに、子どもたちが拒絶したとしても「子供たちが嫌がるから外してください」ということが出来ないというのも本音なのでは?
そこで今回は、亡くなった人の額につける白い三角の布の意味を分かりやすく解説していきます。
亡くなった人が額につける白い三角の布って
お葬式の時によく見かける白い三角の布は、「てんかん(または「てんがん」)」といいます。
漢字で書くと「天冠」とか聞きます。
お葬式には様々な地域の風習が関係しているため、他にも「髪隠し(かみかくし)」というところもありますし「額烏帽子(ひたいえぼし)」という地域もあります。
この三角の白い布は、主に仏教式でお葬式を行う時に使います。
仏教には宗派によって死後の考え方に違いがありますが、多くの宗派では「人は亡くなると四十九日間かけて旅をして仏さまになる」と考えています。
そのため四十九日間に及ぶ旅の支度をする必要があります。
もちろんこれは昔からある仏教の死後のしきたりですので、旅の支度もすべて和装になります。
着物をつけるということ、履き物も靴ではなく草履になりますし、1カ月半にも及ぶ長い旅をするわけですから十分な旅の支度もしなければいけません。
そのため仏教式のお葬式の場合は「旅支度」というものをします。
でも仏教が考える死後の旅は、生きている時に経験するような楽しい旅行とは違います。
仏さまになるための修業をするだけでなく、時には神さまにも会わなければいけません。
そのため旅の途中で神さまに会った時にも失礼にならないようにするために、きめられた身支度をしていかなければいけません。
きめられた身支度のことをあえて「旅支度」というのであれば、白い三角の布もその一つであるといえます。
そもそも天冠というのは位の高い人が身に付けるものだった
天冠は、その名前から見てもわかるように「冠」の種類のことを言います。
冠がつけられるのは身分の高い人に限られており、その昔は幼少時の天皇の冠のことを「天冠」といいました。
天冠は能楽の衣装の中でも見ることが出来ます。
天女や女神などの役を演じる場合は、その額に透かし彫りをしている金の冠をつけます。
これも身分が高いことを表す大事な意味があります。
もっと身近なところで例を挙げるならば、女の子の節句道具の一つであるひな人形でも天冠は見られます。
美しい衣装を身にまとった女雛や三人官女たちの頭につけられている髪飾りも天冠といいます。
つまり天冠といっても様々な種類があり、いずれのものにも「身分の高さを表すもの」という意味が込められていることが分かります。
地域によっては遺族が白い三角の布をつけることもある
お葬式は地域の風習が重視される傾向が強いことが特徴にあります。
そのため亡くなった人につける白い三角の布を遺族が身に付ける地域もあります。
遺族が三角の布を頭につける由来は諸説あるのですが、一般的に言われているのは「大切な家族が旅立つのを共に見届ける」という説です。
身に付けるタイミングも地域によって違うのですが、大きく分けると「出棺前に身に付ける」と「お墓に納骨に向かう際に身に付ける」に分かれます。
出棺前に身に付ける場合、遺族は出棺後に天冠を取り外します。
これは「これ以上は誰も連れて行かないでほしい」という意味が込められています。
これに対して納骨の際に身に付ける場合は、「死の別れで悲しんでいることを周囲に知らせる」という意味があります。
(もちろん地域によってはこれらの解釈とは異なることもあります)
地域によっては白以外の三角の布を使うこともある
白い三角の布は、地域によっては遺族や親族だけでなく一般の弔問客も着けることがあります。
さらに地域によっては、白以外の三角の布を使うこともあります。
これは「故人との関係を一目でわかるようにする」ということが理由にあるといわれていて、「子や孫などの近い直系血族は赤色」「きょうだいや親族は黄色」「一般弔問客は白色」で色分けするケースもあります。
宗教儀式として使うのは仏教式のみ
宗教の儀式の一環として白い三角の布をつけるのは、仏教式の一部の宗派の場合のみです。
仏教の死後の考え方は大きく分けると2つあります。
1つは「亡くなるとすぐに仏の世界に行く」と考える宗派です。
この場合は四十九日の旅をする必要がありませんし、旅の途中で偉い神さまに出会うこともありません。
そのため「旅支度そのものが必要ない」となります。
これに対して「亡くなったら四十九日間旅をしなければ仏の世界に行けない」と考える宗派の場合は、「旅支度をする必要がある」となります。
そのため旅支度の一つである白い三角の布も必要になります。
実際のお葬式で白い三角の布を故人の額に付けなければいけないか?
白い三角の布がお葬式に必要とされる由来は諸説あるため、風習によってつける場合は現在のお葬式でも身に付けるのが一般的です。
ただし宗教的な理由で白い三角の布が必要な場合は、現在のお葬式では直接額につけることはしません。
かつては人が亡くなると、親族の女性たちがみんなで故人の体を洗い(場合によっては体を拭く)、旅支度をさせるのが一般的でした。
でも現在のお葬式では湯灌(ゆかん)といって、かつて親族の女性たちがしていた死後の支度を行うサービスを利用することが一般的です。
もちろん仏教式の場合は旅支度をさせますので、着物を身に付けさせるだけでなくその他の旅支度一式をきちんと身に付けさせていきます。
ただし顔の印象を左右する白い三角の布は、直接額につけることはしません。
他にも頭にかぶって使う頭巾や編み笠なども、直接身に付けさせずに棺に納めて身に付けさせたことにするという方法をとります。
ですから現在のお葬式では、たとえ仏教式でお葬式をしたとしても白い三角の布を故人の額につけるということはほとんどありません。
白い三角の布が仏教で必要とされる理由は?
地域の風習によって白い三角の布を使うことの意味は紹介しましたが、仏教の考えで三角の白い布が使われる理由となると「旅支度」というだけではどうも納得できません。
そもそも旅の支度をするだけならば、わざわざ天冠をつける意味がありません。
実はそこには、仏教ならではの考え方が関係しています。
死後に四十九日かけておこなう死者の旅は、「仏の世界に行くための旅」です。
七日ごとに関所があり、それぞれの関所には偉い神さまが待っています。
それぞれの神さまは、「本当に仏の世界に行く資格があるのか」ということを見極めるための裁判を行います。
その神さまの中には、地獄の神さまでもある閻魔様もいます。
閻魔様の横には「浄玻璃(じょうはり)の鏡」があり、生前の行いをすべて映し出すといいます。
いくら死者が「私は善い行いをしてきました」と申告しても、浄玻璃の鏡に映された内容と違っていると閻魔様は地獄に落としてしまうといいます。
そのため身分が高いことを示す冠(白い三角の布)をつけることによって、無事に閻魔様の関所を通らせてもらうのだといいます。
もともとは中国の文化が関係していた
日本の仏教は中国仏教や文化にも深く関係しています。
死者に身に付けさせる天冠も、中国の文化が関係しているといわれています。
かつての中国では、冠は身分を証明する大切なアイテムでした。
身分によっても冠の色はきちんと決められていましたので、姿を見るだけでどのような身分なのかが分かるようになっていました。
ただし身分を持たない人は冠をつけることが許されなかったため、「野蛮な人物」とみられていました。
とはいえ死んだ後は「清らかな肉体であること」が重要とされていたため、穢れのない白色を使う必要がありました。
そのため死者につける冠は身分を区別するためのものではなく、「清らかな魂であること」を証明するために白い冠を付けさせるようになったといいます。
まとめ
お葬式で見られる白い三角の布には、宗教的な意味だけでなく風習としての意味もあります。
もちろん現代ではお葬式に対する考え方も人それぞれ違っていますので、必ずしも宗教や風習通りに行わなければならないということはありません。
ただ「イメージが悪い」というだけ風習や儀式を排除するのでは、後々に様々な問題となることもあります。
それぞれの意味を理解した上で「どのようにしたいのか」ということを考えることが、正しい意味での「あなたらしいお葬式」となります。