終活でエンディングノートを書く前に知っておくべき事とは!?

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エンディングノートといえば、この数年ブームになっている終活のアイテムです。

一般的には「自分の老後または死んだ後のことの希望を書き残しておくもの」となりますが、「何を書くのがエンディングノートか」という決まった定義がないのが一番の特徴です。

もちろんあなた自身もエンディングノートを書くきっかけは、「残していくことになる家族の負担を少しでも減らしたい」という想いがどこかにあるはずです。そう想うからこそ「自分なりに今から出来ることを…」と思ってエンディングノートを購入したはずです。

でもそうしたあなたの想いと見守る家族の反応にギャップがあることを感じることはありませんか?

言葉では「父さんや母さんもエンディングノートを書くようになったのか」と温かく対応しているかもしれません。

でもあなたが期待しているほど積極的な対応ではないことの方が多いのではありませんか?

とはいえ残す家族が少しでも自分のことで負担に感じないようにするためのエンディングノートなのですから、「出来ればもう少し家族に自分の想いを理解してほしい」と思うはずです。

そこで今回は「エンディングノートは本当に家族のためになるのか?」というあなたの不安を解決するために、あらゆる角度から分かりやすく解説していきます。

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終活で書くエンディングノートとは!?

終活を始めてみると、残りの人生の過ごし方について改めて考えさせられることがよくあります。

たとえば老後にかかるお金のことが分かれば、今の暮らし方を見直すきっかけになります。

また介護や終末医療のことが分かると、改めて健康を見直すきっかけになります。

このように終活というのは「今の自分の暮らし方を見直すきっかけになる」ということが大きなメリットにあります。

 

エンディングノートは死に対する価値観が変化したことによって生まれた

「エンディングノート」や「終活」という言葉が広く知られるようになったのは、2011年に発表された映画『エンディングノート』のおかげではないでしょうか?

この映画は第2の人生を歩み始めた矢先にがんが発見された主人公が、自分の死の段取りをするために終活に励むというドキュメンタリー映画でした。

監督が主人公の実の娘ということもあり、リアルな家族の姿とエンディングノートの一つの可能性を示した社会的にも大きな影響を与えた映画でした。

この映画の影響でエンディングノートと終活は一気にブームになりましたが、逆にそのことによってエンディングノートや終活の意味が狭まってしまったとも言えます。

 

確かに1~2世代前の日本人には、生きているうちに死んだ後の話をするのはタブーとする考えがありました。

ですから今のように終活がブームになる前も自分自身で死後の整理をする人はいましたが、周囲からその行動を理解してもらうことはほとんどありませんでした。

ところが今では昔のような大所帯の家族構成ではなくなっています。

子や孫がたくさんいたとしてもそれぞれが別々の世帯をもっていることの方が多くなり、2世代以上が同じ屋根の下で生活を共にすることの方が少なくなっています。

つまり「いざとなった時に頼れる家族がそばにいないかもしれない」というのが、今の日本の現状です。

こうした時代背景もあり、少しずつ日本人の死に対する価値観が変化してきました。

最期の時を迎える場所=病院となったことで死はさらにタブー化されていく

かつての日本は自宅で最後の時を迎えるのが一般的でした。

介護はもちろんですが最後の瞬間を迎える場所も、家族みんなが暮らす自宅でした。

そのため小さな子どもであっても人が死を迎えていくまでのことを、日々の生活の中で感じ取ってきたものです。

 

ところが医療が発達してくると、介護や死を迎える場所は自宅から病院などの医療施設へと移っていきます。

そのため現在ではほとんどの人が、最期の時を病院などの医療施設で迎えています。

そのことによって大きく変わってしまったのが、死の教育です。

自宅で死を迎えるのが一般だった時代はわざわざそのことについて親が教えなくても、子どもが自分で感じながら学び取っていきました。

でもそのことがすっかりと抜け落ちてしまった今は、経験そのものがありませんから自分で学んでいかなければいけません。

とはいえ日本人には「死はタブーである」という考えが根底にあります。

そのため生きているうちに人生の終末期の過ごし方や死について考えることは、さらにタブー化されていったのです。

 

家族にとってあなたの終活は積極的に応援できるものではない

いくら終活やエンディングノートがブームになっているとはいえ、やはり日本人の考えの中には「死はタブーである」が根強くあります。

でも同世代の友人・知人であれば、境遇は同じですから終活やエンディングノートを書き始めることに対しても理解を示してくれることでしょう。

でもあなたの家族となると、全く違った反応をします。

あなたの子供や孫も、いつかはあなたの方が先に旅立つことを頭の中では理解しています。

でもそれは出来るだけ遠くの未来であってほしいと思うのが当然の心理です。

それなのにあなた自身が終末期や死後の整理を始めているということを知ったとしたら、どんな気持ちがするでしょうか?

 

実はこれこそが「終活でエンディングノートを書く」ということの一番の問題点なのです。

つまりエンディングノートを書くということは、「親の死が来ることを覚悟しなければいけない」ということ否が応でも認識させられるということなのです。

そのためあなたが終活を始めたことを知った時の反応は、あなたが思っているようなものではないのです。

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想いを家族に伝えるためには自分が変わらなければいけない

今のあなたは「自分の想いを家族に理解してほしい」という気持ちが少し強くなりすぎているのかもしれません。

そのためあなたが家族のためと思って始めたエンディングノートや終活に対して否定的な態度をとる家族に、少なからず不満を感じているのではないでしょうか?

でも終活やエンディングノートを本当の意味で家族のために行うのであれば、「家族が理解してくれるのを待つ」のではなく「あなた自身が変わる」ということが必要です。

 

もしもあなたが自分のお葬式に対して「出来るだけ簡素にしてほしい」という希望をエンディングノートに書きこんだとしましょう。

ではそんなあなたが喪主をつとめた親のお葬式はどうだったでしょうか?

あなたが自分のお葬式に希望している通りに質素なお葬式で見送ったでしょうか?

この質問に対して「NO」と答えたのであれば、きっとあなたがエンディングノートに「質素なお葬式にしてくれ」と書いたとしても、あなたの家族はあなたが親のお葬式の時にやったように盛大なお葬式にすることでしょう。

つまり「親の背中を見て子は育つ」というのは、こんな所にも表れるのです。

 

もしも本当に質素なお葬式を希望しているのであれば、あなた自身が日頃の生活を見直し出来るだけ無駄のないような暮らしに切り替える必要があります。

こうすればあなたが「質素にしてほしい」という本当の意味が家族に伝わります。

ようするにお葬式一つとっても、あなたの生き方そのものが強く反映されます。

そしてあなたが自分で意思表示が出来なくなった時も、それまでのあなたの生き方が家族の判断基準となります。

だから本当の意味で家族に理解してもらうためには、あなた自身が変わらなければいけないのです。

エンディングノートは家族に向けた最後の手紙と思えばいい

エンディングノートは、あなたの希望だけを書いただけでは家族のためになりません。

それどころかそこにかかれていることが重荷となって、逆に精神的な負担をかけることもあります。

でもエンディングノートがあったおかげで「大切な人との別れの苦しさに何とか耐えられた」という人もいます。

そういう人に託されたエンディングノートには、残す家族への深い愛情が詰まっています。

実際に拝見させていただいたこともたくさんありますが、その多くが「残す家族への最後の手紙」のように書かれています。

 

例えば「私は脳死と判断された時には病気の人のために臓器提供をしてほしいと思っているけど、きっとあなたはその時が来た時にその決断をすることは出来ないでしょう?だからここに臓器提供意思表示カードを貼っておきます」というメッセージとともに、自分で署名したカードをノートに貼っておいた人もいました。

こうした愛情あふれるメッセージには、「自分の希望」だけでなく「家族の反応を予想する言葉」が添えられているのが特徴です。

このようなエンディングノートであれば、最初は否定的な家族もあなたの本当の想いを理解し少しずつ受け入れてくれるはずです。

まとめ

エンディングノートはあなた自身のためでもあり、残す家族のためでもあります。

でもそこに人の死が関わることだからこそ、家族には複雑な感情が生まれます。

でもあなた自身がそのことを理解した上でエンディングノートに向き合うのであれば、きっとあなたの想いは家族が理解してくれます。

周囲が変わるのを待つのではなく、あなたも変わることが終活には大切なのです。

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