終活は自分だけのためにするとは限りません。
大切な家族のために終活をする人もいます。
なぜなら終活は「終末期における過ごし方」についても考える必要があるからです。
「最期の時をどこで迎えるのか」という問題は、本人以上に家族の問題が大きくなります。
特に自宅でその時を迎えようとする場合は、様々な問題が出てきます。
それでも今、病院などの医療施設ではなく在宅で介護をし、いつか訪れるその時を自宅で迎えようとする人が少しずつ増えています。
では在宅でその時を迎える場合、どのような問題があるのでしょうか?
今回は見守る側の視点から、一つずつ解説していきます。
家族の最期の時を自宅で迎えるとは出来るの!?
かつての日本では、ほとんどの人が自宅で最期の時を迎えていました。
でも医療が発達し死の現場が自宅から病院などの医療施設に移った今、自宅でその時を迎えるケースは非常に珍しくなりました。
もちろん在宅でその時を迎えるということは、介護の現場も自宅にあるということです。
医療や介護の知識や経験が豊富な人であれば良いですが、誰もが病院や医療施設と同じような環境で介護をするということは難しいです。
それにもかかわらずなぜ今、自宅で大切な人の最期を迎えようとする人が増えつつあるのでしょうか?
自宅で受けることが出来る介護サービスの幅が広がっている
終末期における在宅介護というと、非常に高度な医療知識や看護が必要だというイメージが強いはずです。
確かに以前まではそういった傾向がありました。
でも今は終末期であっても自宅で介護することが出来る医療サービスや介護サービスが増えたことによって、これまでのように「在宅介護は家族だけのもの」ではなくなっています。
例えば薬の管理や食事・排泄などの介護も、訪問看護を活用することによって家族の負担を減らすことが出来るようになっています。
人工肛門造設術を受けた場合なども、人工肛門の管理を訪問看護で対応してもらうこともできます。
もちろんこうした介護は、介護保険サービスを活用することが出来ます。
かつてはこういった医療・介護サービスは設備の整った病院や診療所などでしか行うことは出来ませんでした。
そのため結果として「在宅介護は難しい」と思われてきました。
でもこうしたサービスも介護保険の見直しによって介護保険サービスとして認められるようになりました。
こうした制度の見直しによってそれまで「在宅介護では出来ない」といわれていたサービスも介護保険を使って自宅で受けることが出来るようになり、自宅で介護をするハードルが以前よりも低くなっていることが一つの要因となっています。
在宅介護で一番難しいのは「延命治療」の判断
終末期の介護であっても、在宅での介護は以前よりもかなり環境は整ってきています。
ところが環境がいくら整備されたとしても、家族側に大きな問題が残っています。
それが「延命治療の有無」です。
こればかりは家族がどのように考えるのかが問題になります。
延命治療にも様々なものがあります。
もちろんこの問題は在宅に限ったことではありません。
病院や医療施設を利用する場合でも、この問題はおこります。
ただ病院や医療施設の場合は「病気の治癒」が目的にあるため、家族が望めばたとえ脳死と判断されたとしても相当な時間の延命が可能になります。
つまり「家族がどの程度までの延命治療を望んでいるのか」をはっきりとさせておかなければいけないのが、終末期における家族の大きな課題になります。
最期の時の迎え方は「どうやって」ではなく「どのように」が大事
在宅でその時を迎えることを決めた人の多くが、最期の時の迎え方について「どのように迎えるか」と考えています。
でも病院や医療施設を利用している人の場合は「どうやって迎えるか」と考える傾向にあります。
同じようなニュアンスに聞こえるかもしれませんが、両者には大きな違いがあります。
「どうやって迎えるか」という場合、その感情の主体は「見守る家族」にあります。
これに対して「どのように迎えるのか」の場合は、その感情の主体は「患者」と「見守る家族」の両方にあります。
つまり自宅でその時を迎える場合は、その時を家族みんなで向き合うということが大きな違いになります。
少しずつその時が来るのを身近に感じることによって、家族・本人ともに緩やかにその事実を受け止めていきます。
何よりもその時が来る瞬間まで家族の存在を身近に感じられるということは、去ってゆく本人にとっても見送る家族にとっても大きな心の支えになります。
尊重すべきなのは「本人の意志」
自宅で最後まで看取るという決断をするのは、確かに家族にとっても負担があります。
でもその前に大事にしなければいけないのは、「そのことを本人が望んでいるのか」ということです。
自分の死を受け入れるということは、誰もが初めてのことです。
ということは、受け入れ方にも人それぞれ違いがあります。
治療の段階から自宅での介護を希望する人もいれば、「出来る限りの治療を病院で受けたい」という人もいます。
また自分の死を受け入れるにも、様々な段階があります。
まず初めは「否定」の感情があります。
「どうしてこんな病気になったのか?」「どうして自分が死ななければいけないのか」という葛藤と現状に対する否定の感情が生まれます。
次に訪れるのが「期待」です。
「もしかしたらこの病気は治るのかもしれない」という期待です。
この時点では多くの人が医療施設での治療を希望します。
ただ時間の経過とともにその期待が実現しそうにないことを悟ると、自分の命に対して向き合う時間が来ます。
その先に浮かんでくるのが「どこでその時を迎えるのか」となります。
つまり、本人にとっても自分の死を受け入れるのに時間がかかるのです。
様々な葛藤と感情の波にもまれながら少しずつ自分の考え方がまとまっていき、ようやく自分の死を受け入れることが出来た時に初めて「どこでその時を迎えるのか」という問題が浮かんでいます。
ですからその時が訪れるまで、家族は出来るだけ本人の意志を尊重してあげてください。
どのような結論が出たとしても、ともに悩みともに過ごした時間があることがその後の過ごし方に大きく関係してきます。
最期の時を自宅で迎えるためには
実際に最期の時を自宅で迎えると決めた時は、本人とあなたが心から信頼できるかかりつけ医を見つけてください。
かかりつけ医が定期的に病気の進行状況や状態を把握しているのであれば、いざその時が来た時に医師がそばにいなかったとしてもかかりつけ医によって死亡診断書を発行してもらうことが出来ます。
もちろんこうした終末期の在宅医療に関わるかかりつけ医であれば、見守る家族の不安にもきちんと向き合ってくれます。
もちろん症状が急変した場合でも在宅医療に対応しているかかりつけ医であればきちんと対応してくれますし、死後の処置なども任せておけば大丈夫です。
大切なのは「家族だけで頑張らないこと」です。
頑張らないといけないと思うのは「何かに不安を抱えている」からです。
自分の中だけで解決できる問題もあるかもしれませんが、そう思えることであっても誰かにサポートしてもらうことでもっと早く問題が解決することもたくさんあります。
そのためにも安心して任せることが出来るかかりつけ医を見つけることが、あなたにとっても大切な人にとっても大事なことなのです。
まとめ
最期の時をどこで迎えるのかというのは、見守る家族にとっても本人にとっても非常に大きな問題です。
でもどんなことがあっても忘れてはいけないのは、「本人が何を希望しているか」ということです。
今は終末期の在宅介護を取り巻く環境も、以前よりもはるかに良くなっています。
もしも「最期の時を自宅で…」と思った時は、迷わず周りに相談してください。
在宅介護の方法も様々なものがあります。
まずは今抱えている不安を誰かに相談することから始めてください。
それが大切な人のためにできる「最初の終活」です。