自分の最後について積極的に考え行動する「終活」がブームとなってから10年が経ちました。
最近では「終活始めました」という人や「エンディングノートを持っています」という人も増え、終活講座やコラム、書籍なども随分と増えました。
でもなぜ自分の最後のことについて生きているうちに積極的に行動することがそんなに大事なのでしょうか?
今回はそんな素朴な疑問に対して、様々な角度から解説していきます。
終活を始めるきっかけって!?
人生の最後について考える「終活」。
実際に終活をしている人も最近では増えていますし、友人や知人との会話の中で終活に関する話題が上がることも増えています。
では実際に終活を始めている人は、どのようなことがきっかけで始めるのでしょうか?
子育てがひと段落した時
子育てをしている時期は、子供の成長とともに未来に対する期待や関心のほうが強く人生の中で最も充実した時代といえるのかもしれません。
もちろん仕事や家事などで毎日忙しい時間を過ごすのも子育て中の特徴ですが、忙しいからこそ自分の将来の不安や悩みよりも「子供や家族のために何ができるのかということを考える時間のほうが長い」とも言えます。
そんなあわただしい毎日も、子育てがひと段落するのと同時に終わりを告げます。
すると今度は自分のこれまでの生き方についてふと考えるようになります。
実は人はこの時期に初めて「人生に対する不安」を感じます。
この時の不安は、若いころに感じる人生の不安とは違います。
「自分の人生はこれでよかったのだろうか」「これまでの自分は何をしてきたのだろうか」と自分自身に問いかける時間が増えます。
この不安から解放されるためには、これまでとは違う新たな一歩を踏み出す必要があります。
その一つのツールとして「終活」があります。
自分の死を意識するようになった時
定年を迎えたころになると、それまで漠然としていた「死」というイメージを自分のものとして考えることが増えてきます。
同年代の友人や知人の訃報を知る機会も徐々に増えてくると、それまで死は他人事であったものがそうではないということに気が付いてきます。
またそれとは別に自分の人生についてより深く振り返る時期でもあります。
この時期に思い出すことは「苦しかったこと」「つらかったこと」「苦労したこと」よりも、「楽しかったこと」「うれしかったこと」「幸せを感じたこと」のほうが多くなります。
つまり「幸せな人生を送ってきた」ということを改めて感じるのです。
そんな幸せな人生を送ってきたことの総決算として自分の最後について考えるようになります。
これも終活を始めるきっかけとしてはよくあるケースです。
自分の病気がきっかけ
自らの病気をきっかけに終活を始めるという人もいます。
特にそれまで大きな病気をしたことがない人が長期の入院を伴う病気を患った時が多いです。
長期の入院となると、まず初めに「病気に対する不安」を強く感じます。
病気が治るということがわかると、今度は「経済的な不安」に襲われます。
仕事を休めばその分の収入がなくなりますし、職場復帰するにしてもすぐに元の状態に戻るということは難しいものです。
そのような状態の中で治療費の請求を受けるわけですから、当然経済的な不安は大きくなります。
さらに退院をした後も「病気の再発の不安」は残ります。
「もしも不治の病にかかったら…」という不安は頭の中で必ず浮かんでくるはずです。
このような体験から「病気になった時のこと」「治療が難しい病気になった時のこと」を真剣に考えるようになり、もしもの時に備えて自ら準備しておこうという気持ちが起こります。
これも終活を始める一つのきっかけです。
親の死がきっかけ
親の死に立ち会うということは、喪主または遺族として立ち会うということです。
「一般参列者または親族」としてお葬式に立ち会うのと「喪主または遺族」としてお葬式に立ち会うのでは、心と体にかかる負担は全く違います。
特に喪主を体験すると、看取りに至るまでの看護や臨終、葬儀、その後の手続きや相続など様々なことを次から次へと経験していかなければいけません。
こうした様々な体験から「残す家族に同じ苦労をさせたくない」という強い意志が生まれます。
こうした経験から終活を始める人も少なくありません。
残す家族のための終活では「看取りの準備」をきちんとしよう
終活というとどうしても「死後の準備」というイメージが強いですが、残す家族のために終活を始めたいのであれば「看取りの準備」をきちんとしておくことがポイントです。
看取りの準備というのは、「余命を宣告されたとき」のためのことです。
例えば余命を宣告されたとき、「告知を希望する」と「告知を希望しない」では家族や看護ケアの対応も変わってきます。
また延命治療についても同じです。
余命を宣告された場合、「延命治療を希望する」と「延命治療はせず自分らしく過ごせる時間が欲しい」ではケアや治療の方法も変わります。
こうした判断は終末期に行われるものであって、その判断を家族にすべて任せるということは「家族に負担を押し付ける」ということでもあります。
もちろん終末期においては本人の希望を最優先させますが、本人が意思表示できない場合のことも考えておかなければ言えません。
特に延命治療の有無についての決断は、家族にとっては非常につらい決断になります。
延命治療を拒めば近い将来に死が訪れることを受け入れるということになります。
かといって延命治療を行った場合、「いつまでその状態が続くのか」という不安も襲ってきます。
「一日でも長く生きていてほしい」と願うのは家族であれば当然の願いです。
でもそれと同時に苦しみや痛みがずっと続く状態を長く見続けなければいけないのだとすれば、それも家族にとっては大きな負担です。
こうしたことも考えると、事前に終末医療に対する意思表示を記録として残しておくことは家族の負担を最小限に抑える大切な意味があるということがわかるはずです。
終活でやっておくべきお葬式の準備は「お金」じゃない!
終活では自らのお葬式についても考える必要があります。
お葬式の準備というとどうしてもお金のことをイメージしてしまいます。
確かに日本のお葬式は高額です。でもお葬式の費用は、お葬式のスタイル次第でどのようにでも抑えることができます。
そのかわりお葬式で一番問題になるのは「訃報連絡の範囲」です。
最近のお葬式では、親族であってもお葬式に呼ばない「家族葬」が主流です。
もちろん家族葬といってもお葬式で行う流れや儀式は一般的なお葬式と変わりません。
ただし家族葬ではお葬式に参加する人数がおおむね20名程度となっています。
ですから親族であってもお葬式に呼ばない人も多いのです。
もちろん初めから親族の人数が少ないという場合であればよいのですが、「家族葬で行いたくても親族だけで40~50名いる」という場合だってあります。
家族葬ではお葬式に呼ぶ人の範囲を遺族が決めることができるので、どこまでの範囲に訃報連絡をするのかが大きなポイントになります。
規模が小さくなればお葬式にかかる費用も少なく済みますが、親族の中で「呼ばれた人」「呼ばれなかった人」がいるという状態になるとその後、残される家族が親戚付き合いでトラブルに巻き込まれることがあります。
こうならないためにも「自分のお葬式の時にだれを呼んでほしいのか」ということを明確に記録しておくということが大切です。
このように記録として残しておけば、実際にトラブルになった時にも「故人の強い希望がありましたので…」と答えることができます。
まとめ
終活はやらなければいけないということではありません。でも終活を始めることによって自分の人生を振り返ることができますし、大切な家族のためにお金以外のものを残すことができます。
人生の後半戦に向けて一歩踏み出すための活動としても注目され始めている終活。あなたもそんな気持ちで始めてみてはいかがですか?