終活として考える自分の死の迎え方は元気なうちにすませておくべき!

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人生の終わりについて積極的に考える活動を「終活」といいます。

終活には様々なカテゴリーがありますが、なかでも一番デリケートな問題なのが「自分の死の迎え方」ではないでしょうか?

そこで今回は終活における「自分の死の迎え方」について、少しでも具体的に考えられるヒントを終活セミナー講師が紹介していきます。

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終活は自分が死んだ後の準備ではない

「自分の死の迎え方」という表現をすると、「死んだ後の準備」というイメージを強く感じてしまうかもしれません。

でも終活で考えなければいけないのは「死んだ後の準備」ではなく「どうやって最後まで自分らしく生きるのか」ということです。

 

・2060年には日本人女性の平均寿命は90歳を超える

日本人の平均寿命の推移と将来推計(内閣府『平成27年度 高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況』より)によると、2014年時点で日本人の平均寿命は男性が80.5歳、女性が86.6歳となっています。

1950年時点での平均寿命が男性58.0歳、女性61.5歳だったことと比較すると格段に寿命が延びていることがわかります。

 

さらにこの調査によると今後40年間でさらに男女ともに平均寿命は上がり、なんと2060年時点の日本人女性の平均寿命は90.9歳まで伸びることが予想されています。

もちろん日本人の平均寿命は世界で見てもトップレベル。

すでに長寿国である日本は、今後さらに「超長寿国」となることがすでに予想されているのです。

 

こうなってくると60歳で定年を迎えたとしても、その後20年ほどは現役生活を送る人のほうが多くなるということになります。

もちろんそうなれば老々介護は今よりもさらに深刻化するでしょうし、介護をする側の負担も大きくなります。

 

・実は「自宅で最期を」と考えている人が圧倒的に多い

子供に負担をかけたくないという世代が増えているとはいえ、本音を言えば「最期は自宅で家族に見守られながら迎えたい」という人のほうが圧倒的に多いです。

ところが現実的には自宅でその時を迎える人よりも病院などの医療機関で迎える人のほうが多いです。

 

・終末期について知る

終末期というのは、余命が数週間から数か月以内の状態に入ったことを意味します。

この時期は「ターミナル期」とも呼ばれており、この時期のケアについては非常にデリケートな問題とされています。

ただ「終末」という言葉からもわかるように、この時期に入った人の残りの時間には限りがあります。

その先にはもちろん死がありますが、この時期で最も大切なのは「残された時間を自分らしくどのように生きるのか」ということです。

 

もちろん死を目前にする本人が「どのようにしてその現実を受け止めるか」ということが最大の課題ではあります。

でもそれと同じく家族にとっても「見守る側としてどのように立ち会おうとするのか」という大きな決断を迫られることになります。

 

本人が死を自覚し最後の時間をどのように過ごしたいのかという希望をはっきりと伝えるのであれば、その希望を叶えることが一番の方法です。

でも症状や状態によっては本人が意思表示をすることができない場合もあります。

このような場合は、本人の代理として家族がその決断を任されます。

 

つまり元気なうちに「自分に残された時間があとわずかだと知った時にどのようにして過ごしたいのか」ということをはっきりと意思表示しその準備を整えておくことが、これからの超高齢化時代を生きるためには大事なことなのです。

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終活としてどのような死を迎えるか考える

現在の日本では約8割の人が病院で最期を迎えています。

ただ病院で最期を迎えるということは「延命治療を望む」ということを意味します。

病院以外で終末期を過ごす方法としては「在宅」「介護施設」「ホスピス」などの選択肢があります。

ところがいざ病状が悪化すると本人も家族も「病院での治療」を望む人が多いです。

 

ただし病院というのは「病気の治療」が目的です。

病気による痛みや苦しみを取り除く場ではありませんし、介護されることを前提にしているわけではありません。

さらに常に病室にはほかの患者さんもいますから、患者本人のプライベートが十分に確保されているとは言い切れません。

 

確かに医療設備が整っていますから、状態の変化があればすぐに対応できるという点でいえば医療施設を利用することは大きな意味を持ちます。

本人も家族も安心して任せられるでしょう。

ただしチューブにつながれ機械音が常に響いている病室で、残された時間をただ黙って過ごすことが、果たして本当に自分らしい最後の過ごし方なのでしょうか?

 

・延命治療を望まないのであれば緩和ケアという方法がある

身体の痛みや苦しみがあると、やはり精神的な苦痛を味わいます。

こうした痛みや苦しみを取り除くだけの治療を望むのであれば、緩和ケアという方法があります。

しかも緩和ケアは、自宅でも受けることができます。

 

訪問看護や往診を取り入れることによって病院と同じように痛みのケアを受けることができます。

もちろん症状を見守る必要がありますので、看護人を置く必要はあります。

でも入浴やトイレなどのケアや床ずれ防止のケアや処置などについては、専門スタッフのサポートを受けることもできます。

 

もちろん緩和ケア病棟を利用するという選択肢もあります。

施設によっても異なりますが、在宅であってもデイケアやショートステイとして緩和ケア病棟を利用することもできます。

これであれば看護をする家族の負担も幾分減らすことができます。

 

・費用のことを考えるのであれば在宅ケアが最も費用を抑えられる

家族への負担をかけたくないという場合でも、その負担の内容が「金銭的な負担」なのであれば医療施設を利用するよりも在宅ケアにしたほうが費用はぐっと抑えられます。

もちろん看護人である家族の精神的・肉体的な負担は増えますが、要介護度によって利用できる介護サービスの種類も増えます。

こうしたサービスをフル活用すれば、家族の精神的・肉体的な負担も最小限まで抑えることができます。

 

延命治療を望まないことを書面で作成する方法

延命治療を望まないことを正式な記録として意思表示する方法があります。

■リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)

満15歳以上で意思表示ができる能力がある人であれば、だれでも会員になれます。

会員になると日本尊厳死協会発行の会員証と延命治療を望まないことを表明する「リビング・ウィル」のコピーが送られてきます。

日本尊厳死協会公式ホームページ

終活として家族のための意思表示

最期の時をどのように過ごしたいのかという本人の希望は、見守る家族にとっての心の支えになります。

家族である限り「一分一秒でも長く大切な人が生きていてほしい」と願うのは当然です。

でも延命治療を受けることによって患者本人の苦痛が増すといわれた場合、心は大きく動揺します。

 

「少しでも長く生きてほしい」という気持ちと「できるだけ苦痛は避けてあげたい」と願う想い。

その2つの思いの狭間で家族は揺れ動きます。

その時にあなた自身が「何をしてほしいのか」ということをあらかじめ意思表示するということは、家族の負担を少しでも減らすことになります。

まとめ

自分の死を考えるということは、自分らしい最後を生きるということでもあります。

「どのようにして残された時間を過ごすのか」ということは人生で最も大きな課題です。

そのことについて考えることが、終活ではとても大事なことなのです。

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