親族のお葬式となれば、出来るだけお葬式に参列するのがマナーです。
でも小さな子供がいる場合、お葬式の席に連れて行っても良いのか迷うことはありませんか?
私もこれまで3回、近い親族のお葬式を経験しました。
1回目は娘が2歳になったばかりの頃、2回目は幼稚園の年長組、3回目は小学3年生でした。
私の場合、私自身が日頃お葬式の現場で働いていることもあって「子供を連れて行かない」という選択肢は最初から考えませんでした。
でも葬儀ディレクターとして現場に立っていると、お客さんから「子供は遠慮させた方がよいのでしょうか?それとも連れてきても構わないのでしょうか?」という質問をよくされます。
そこで今回は葬儀のプロとしての視線と子連れでお葬式に参列した経験者としての視線の2つから、この疑問について考えてみようと思います。
小さな子供連れでお葬式に参列するメリット
小さな子供をお葬式の場に連れて行くことのメリットは、「お葬式の記憶がどこかに残る」ということです。
日本の文化では、亡くなった後も年忌法要を行い追善供養するのが慣習です。
ですから盆になると家族で遺骨が納められた墓に行き、手を合わせるわけです。
でも供養は「誰のためにしているのか」ということが分かるから大切だと思えるようになります。
そこに意味がなければ大切にしたいという気持ちは生まれません。
だからこそ子供の中でかつて自分をかわいがってくれた人のお葬式の記憶がどこかにあれば、死を理解できるようになったときに「供養をする意味」を考えることが出来るようになります。
また身近な人のお葬式に立ち会わせるということは、命について教えるチャンスでもあります。
「死んじゃった人にはもう会えない」ということが分かれば、別れのつらさを覚えます。
もちろん理解するようになるには時間がかかります。
でも身近な人の死は何度もおこることではないからこそ、そのチャンスはきちんと与える方がよいのです。
小さな子供連れでお葬式に参列するデメリット
お葬式は地域の風習が強い儀式です。
どれだけ現代式になろうとも、核になる部分は変わらないことも多いです。
その風習の中に「死んだ人に子供を近づけてはいけない」というものもあります。
風習の由来は定かではありませんが、その一つに日本人が信じる「神道」の考えが関係していると言えます。
日本はそもそも神道の国です。
神道では死は穢れを意味します。
あくまでも「死=穢れ」であり「死者=穢れ」ではないのですが、死に至る原因には魔物が関係していると考えるため「穢れ」と考えるのです。
これに対して小さな子供は穢れのない無垢な存在です。
そのため「穢れのない子供に穢れを寄せ付けない」と解釈します。
それゆえに「小さな子供を葬儀の場に連れてきてはいけない」という風習があります。
もちろんその考えそのものを否定するわけではありませんが、地域の風習にはかつての日本人の死に対する考え方が深く関係しています。
さらに風習の意味がきちんと伝わらないまま慣習として残ってしまうことで、「なぜ?」がわからないまま従わなければいけないという現実が生まれます。
もちろん子供に関する風習はほかにもあります。
特に「妊婦はお葬式に参列してはいけない」という風習は全国各地で見られます。
ただこれももともとは、妊婦を気遣ってのことです。
「無理をさせてお腹の子に万一のことが合ってはいけない」という心遣いがこの風習の由来にあります。
ですからこのような風習が残っている地域では、あなたが小さな子供を連れて行くこと自体をあまり快く思われないことがあります。
もちろんこうした風習も時代と共に変わってきていますが、風習には意味があるので風習自体を否定するのは避けるべきです。
このような場合には、周りの親族などに相談してアドバイスをもらうようにするとトラブルを避けられます。
葬儀に小さな子供を連れて行く前に
子供の頃は「死んだ人=おばけ」というイメージがありませんでした?
私も子供のころを振り返るとそんなイメージを持っていたような気がします。
考えてみると子供がお化け(人の場合)の絵を描くと、ほとんどの子供がおでこに三角形の白い布をつけた人を描きますよね?
たしかに人の顔を描いた後におでこに三角形の布を付け加えるだけでお化けに見えます。
でも三角形の布をつけたお化けを実際に見たという子供はほどんどいないはずです。
ところが小さい子供がお葬式の現場にいると、3人に1人は「顔を見るのが怖い」といいます。
それが生前かわいがってくれたおじいちゃん・おばあちゃんであっても同じリアクションをとります。
でもこの反応はある意味で正しいのかもしれません。
現代人はほとんどの人が亡くなるまでの過程を知らない
かつての日本人は最期の時を迎える場所が「自宅」が一般的でした。
家族も三世代同居は珍しいことではなく、生活も「一つ屋根の下」が当たり前の時代がありました。
この時代は病気になっても自宅で看病することが多く、家族全員が看病に関わりながら日常生活を送っていました。
もちろん最期の時が来るのも家族全員で見守るのが当時の常識でした。
だから少しずつ死に近づいていく様子を、子供ながらに肌で感じることが出来たのです。
さらに当時のお葬式は最期を迎えた場所で行うのが一般的でしたから、葬儀の準備から通夜・葬儀までを子供たちもそばで見る環境がありました。
だから亡くなった家族を見て「お化け(怖い)」と感じることは少なかったはずです。
ところが現代はそれとは大きく違います。
病気が分かり闘病生活を送るとなれば、生活の場は自宅から病院へ変わります。
そして、最期の時を迎える場所もほとんどが病院です。
病院は病気を治すための場所ですから、症状によっては子供が病室に入ることを断られるケースもあります。
また入院中は面会時間も限られていますから、タイミングが合わずに小さな子供を連れてお見舞いに行くことが出来ないこともあります。
ですから生きているうちに子供に入院している姿を見せるタイミングがないこともあります。
さらに最期を迎えると、すぐに葬儀社が迎えにやってきて葬儀専門のホールへと連れていきます。
この時点ですでに小さな子供は「命がどのようにして終わりを迎えるのか」ということを知るチャンスを逃しています。
「人が死にゆく過程を小さな子供に見せるべきか、否か」については、様々な意見があります。
でも最期を迎える時は人それぞれ状況が違います。
穏やかに眠るように旅立つ人もいれば、最後まで痛みと苦しみを訴えながら旅立つ人もいます。
前者のようなケースばかりであれば「子供に見せるべき」という意見が多くなるに違いありません。
でも後者のようなケースに一度でも立ち会ったことがある人であれば、「子供に見せるべきではない」と答えるに違いありません。
いずれにしても現代の子供の多くは近い身内が死にゆく様子を見るチャンスが限りなく少ないことは確かです。
元気だった人がいきなり「死んだ人」に変わるのが子供は怖い
亡くなるまでの過程を知らされないままある日突然両親に連れられてお葬式会場に連れてこられる子供は、遺体との対面を強く拒否します。
これは一種のパニック状態といえます。
たとえそこにいるのがかつてかわいがってくれたおじいちゃん(おばあちゃん)であったとしても、そこで眠っている以前の記憶は「元気だったころのおじいちゃん(おばあちゃん)」です。
それがある日突然黒い服を着た人だらけの場所に連れられて、両親から「おじいちゃん(おばあちゃん)にお別れしなさい」といわれても、それまでの記憶と現実が結び付かないのです。
ただし子供は周りの様子にとても敏感です。
両親や周りの大人たちが涙を流して悲しんでいる様子を見ると、その理由が何かということは別として強い不安を感じます。
そんな時の子供は、しきりに両親の顔を見ています。
でも「何をしてよいのか」「何をしなければいけないのか」が分かる年齢になるまでは、両親が言葉で「死んでしまったんだよ」と伝えても死が何を意味するのか理解できません。
私が2歳の娘をお葬式に連れて行った時がそうでした。
でも私が亡くなった人の顔やおでこをなでたり話しかけているのを見て、「目の前で眠っている人は怖い存在ではない」ということを悟ったようです。
だから最初は私にピッタリとくっついて離れずにいた娘も、しばらくすると私と同じようにおでこに手を当てたり話しかけたりするようになりました。
この経験から私は思うのです。
つまり「元気でかわいがってくれたおじいちゃん(おばあちゃん)が突然死んだ人になった」と思うから子供は怖いと感じるのです。
怖いからこそ近づきたくないのです。
でも亡くなった後も元気だったころと同じように接している親や大人の姿をみれば、子供なりにゆっくりとその状況を受け入れるようになります。
そしてわからないなりにも周りの大人たちの真似をして、静かにその場で過ごすようになります。
まとめ
小さな子供を連れて行くこと自体、私は良いことだと思っています。
お葬式は特別な出来事です。
何度でも体験するようなものではありませんし、出来れば避けたい出来事です。
でも小さな子供だからという理由だけでお葬式に連れて行かないのは、家族として少し寂しい気がします。
「小さい子供は場の雰囲気が分からず騒ぎだしてしまうのではないか」と不安に思う気持ちもわかりますが、たくさんの現場に立ち会ってきた私の経験でいえばそんなことはほとんどありません。
むしろ小さな子供には、悲しみでつぶされそうになる親族の気持ちを和らげてくれます。
ですから悩んでいるのであれば、迷わず連れて行ってください。
あなたの子供は確かに体は小さいですが、あなたが思っている以上に強く大きな力を持っています。
その力を信じてあげるのが親の役目だと思いますよ。