葬儀社のスタッフが感動した「亡くなる直前に残した最期の言葉」

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お葬式の司会を担当するとき、私は家族からいろいろな話を聞き取ります。

その理由の一つは司会のナレーションづくりのためなのですが、式の進行上に家族構成や人柄などをあらかじめ知っておくことは司会者として大事なことです。

そのため司会のナレーションを作る時は毎回1時間ほどインタビューをします。

もちろん「お話を聞かせてくださいね」と声をかけたとしても、最初はなかなか話をしてもらうことはできません。

目の前に本人がいるタイミングでインタビューするので、心の整理がつかず苦しいという気持ちもよくわかります。

だからインタビューをする時には相手が話し始めてくれるまで時間をかけて待つことにしています。

そんな長い沈黙の時間を側でじっと見守っていると、家族も少しずつ話をしてくれます。

そこで出て来る話は「人生って色々なんだなぁ」とつくづく思わされるものばかりです。

これまでも数えきれないほど聞き取ってきましたが、一つとして同じものはありません。

でもその中でも「亡くなる直前に家族に向けて残した最期の言葉」は、他人であっても記憶に残るものがあります。

そこで今回は葬儀のプロである私が感動して今でも忘れることが出来ない「亡くなる直前に残した最期の言葉」を3つ紹介します。

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死の直前まで口うるさかった母が最期に残した「ありがとう」

この話は80歳で亡くなったある女性のエピソードです。

彼女には5人の息子たちがいます。

話を聞くと、仕事が忙しく家を空けることが多かったご主人の代わりに家事と子育てを一手に引き受けた肝っ玉母ちゃんだったといいます。

 

「息子の立場から見てどんな母親だったのか?」と長男に聞いてみると、「とにかく口うるさい母親だった」といいます。

中でも長男には特別だったようで、なにかにつけて事細かくいろいろなことを指示していたそうです。

だらか「母親が話し出すと長いから、話が始まったと思ったら逃げてたよ」なんて笑い話も…。

ただ家を空けることが多い父親がたまに家でのんびりくつろいでいる時には、いつもの小言はピタリと止まるのだといいます。

「だから小さい頃は、父親が返ってくるとホッとしたんだ」と言っていました。

 

そんな彼女は、とにかく何でも自分でやる人だったそうです。

家事をこなしながら5人の子育てをするだけでも大変なのに、昼間は畑仕事をしたり収穫した野菜を近くの市場に売りに行っていました。

その上で子供たちの洋服を手縫いで準備したり、運動会になると朝一番でたくさんのお弁当を作ってくれたといいます。

 

さらに驚いたのは大工仕事まで一人でこなしていたというエピソード。

「学校から帰って家に母親がいないと思ったら、屋根に上って雨漏りを直していたことがある」というエピソードもありました。

ご主人を数年前に亡くしてからは、「一人暮らしをするのは心配だ」と長男に説得され、彼女は長男の家に近い老人ホームに入所したそうです。

それからしばらくして病気が見つかり、病院へ入院。

 

ところが体の痛みなどは一切訴えないのに、息子たちが顔を見せると「あれはどうなった?」「これはどうした?」と相変わらずのやり取りが続いたそうです。

そして最期の時を迎えるその日もそんなやり取りをしていたそうです。

そんな彼女は、最期まで意識がはっきりしていたそうです。

夜遅くまで集まっていた息子たちを相手に相変わらずこまかくいろいろなことを指示していたそうですが、少し眠そうな顔をしたのを見て息子たちは「また明日来るね」といって病室を出て行こうとしたそうです。

 

その時彼女が急に大きな声で長男の名前を呼びました。

その声にびっくりして外に出ていた息子たちもあわてて病室に戻ります。

皆で取り囲んだ時、彼女は息子たちの顔を見渡して静かに「ありがとう」といいました。

そのまま目を閉じ、息を引き取りました。

 

その話をしてくれた長男は最期に私にこう言いました。

「小言ばかりでうるさいなぁと思う事ばかりの母親だったけど、最期のあの一言をきいた時にそれまでのことが全部吹き飛んだよ。小言ばかりだったのに最後は“ありがとう”なんて思ってもみなかった。かっこいい最期だった」。

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身寄りがいなくなる娘のために何も言わずに一人で去って行った父

最期の言葉をあえて残さずに去って行った男性の最期も、私の記憶に残っています。

彼は50年前に、シングルマザーだった女性と結婚しました。

彼は初婚、彼女は再婚でした。

彼女の娘は当時5歳で、本当の父親のように接してくれる彼のことをすぐに「お父さん」と呼ぶようになったそうです。

 

ただ彼の奥さんは、結婚して数年後病気で他界します。

その後彼は再婚することもなく娘と2人暮らしをします。

彼は一人娘をいろいろなところに連れて行ってくれたそうです。

仕事が休みになると自転車の荷台に娘をのせ、近くの川に釣りに行ったり木登りを教えてくれたりしたそうです。

 

定年退職をして家で過ごす時間が増えると、家には彼を慕っていろいろな人がやってきたといいます。

もともと手先が器用なうえに誰に対しても優しい性格だったので、近所の人が困っているのを聞くとすぐに手伝いに行っていたそうです。

そのうち彼の家には人が集まるようになり毎日を楽しそうに過ごしている父親の様子を見て、娘は一人暮らしを始めたそうです。

 

お互いに一人暮らしをすることになった親子ですが、ほとんど毎週のようにお互いの家を行き来していたそうです。

そんな彼が亡くなる数年前から始めたのが「終活」でした。

娘の立場としては複雑な気持ちだったといいます。

それでも「お前は俺が死んだら一人になるんだから、困らないように今のうちに整理しておくんだよ」といってきかなかったといいます。

 

家の近くにある老人ホームを見つけてきたのも彼で、入所の手続きも何もかも自分一人でやったそうです。

その上で住み慣れた家を処分し、ホームに持ち込む荷物も必要最低限の荷物だけにまとめたのも彼でした。

そんな彼に病気が見つかったのは、ホームに入所してからわずか数か月後のこと。

入院してからも娘に心配をかけさせないように、病院のスタッフに「よほどのことがない限り娘を呼ばないでくれ」と声をかけていたそうです。

 

だから娘がお見舞いに行くと、嬉しそうな顔をしながらも「仕事はどうした?俺のことは大丈夫だから心配するな」といって早々に促されたそうです。

最期の時を迎える日も同じでした。

病院から「数日が山」と告げられていたため仕事を休んで様子を見に行った時も、彼は彼女に「大丈夫だから仕事に行きなさい」と伝えたそうです。

穏やかな顔の父を見て「それならちょっと行ってくる」といって仕事場に戻った数時間後、病院から危篤の連絡がありました。

慌てて戻ったものの、病室にたどり着いた時にはすでに彼は息を引き取っていました。

 

最期をみとった病院のスタッフに「父の最期はどうだったんでしょうか?」と聞くと、病院のスタッフも驚くほど静かに息を引き取ったといいます。

彼女はそこまで私に話してくれたあと、大きく息を吐いてこう言いました。

「最期まで父は人に面倒をかけずに生きた人でした。最後くらい何か言ってくれても良かったのに、何も言わなかったのがかえって父らしい…」。

最初で最後の親子の会話

死のタイミングはいつやってくるかわかりません。

だから時には命の誕生と命の終わりが同時にやってくることもあります。

これは葬儀の依頼が入り私が病院に遺体の引き取りに行ったときの話です。

 

亡くなったのは30代の女性でした。

病室を訪ねるとベッドの側には彼女の体を揺さぶりながら泣きじゃくっている彼女の母親と呆然とした顔で立ち尽くす父親、そして廊下には彼女の夫の両親が言葉なく座っていました。

 

ただ私が迎えに来たのは、総合病院の産婦人科でした。

ですからナースステーションの奥から生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声がしました。

そのことから私の目の前にいる彼女は「新しい命の誕生に立ち会って息を引き取ったのか」または「天使と共に旅だったのか」のどちらかだとすぐに思いました。

 

しばらくすると彼女の夫が部屋に戻ってきます。

真っ赤な目をした彼は深く頭を下げ、「よろしくお願いします」と私に言いました。

私は葬儀ホールの安置先へ移動するための車の手配が出来ていることを告げ、彼女を車に乗せ家族と安置先へ向かいました。

沈黙の搬送車の中で病室で預かった死亡診断書に目を通すと、彼女が出産後に状態が急変して息を引き取ったことが分かりました。

 

安置室に安置された後も、ショックで言葉が出ずただ茫然と彼女を見ている夫と両親たち。

それでも葬儀の打ち合わせはしなければいけないので、私は話が出来るタイミングになるまでしばらく外で待つことにしました。

どれくらい待ったかわかりませんが、安置室の外にある喫煙所にいた私のところに彼女の夫がやってきました。

「たばこ、もらっていいですか?」といわれたので、持っていた煙草とライターを手渡します。

 

火をつけて深く煙を吸い込んで、ため息とともに煙を吐き出します。

それを何度か繰り返した後、彼が話しかけてきました。

 

「うちのかみさん、子供が生まれた後“元気ないい子”って言った後意識がなくなってそのまま逝ったらしいんです。

先生は出産中には意識がなくなっていたといっていたけど、俺はちゃんと彼女は子供の声が聞こえていたんだと思うんですよ?だから“元気ないい子”って。ねえ葬儀屋さん、どう思う?」

 

最期の言葉にどんな意味があるのかはわかりませんが、もしも彼女の最期の言葉に意味があるのだとすれば夫が語った通りの意味があるのだと思うのです。

彼女がこの世を去ってからもう10年以上たちます。

あの後も、同じような境遇でこの世を去った人のお葬式を担当しました。

でも私は、10年以上前に立ち会ったこの時の光景と彼女が残した最期の言葉を忘れることが出来ないままでいます。

まとめ

人がこの世を去る時、言葉を残して去っていく人はいます。

でも言葉を発することなくそのまま旅立っていく人もいます。

最期の言葉がどんな言葉であったとしても、残される家族の心には残るものです。

あなたの胸には今回紹介した3つの最期の言葉はどう映ったでしょうか?

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