「お葬式は普段あることじゃないからいろいろ困ることが多い」というのが一般的な意見です。
それなら普段からお葬式の現場で働いているプロが自分の家族のお葬式をすると、一体どんなお葬式になるのか気になりませんか?
今回は葬儀業界で働く様々なプロが自分の家族のお葬式に立ち会ったときの体験談を紹介します。
葬儀のプロといっても家族のお葬式は別
葬儀の現場で働いていると、一般の人が「特別な出来事」と感じるお葬式も(仕事上の)日常生活の一部でしかありません。
もちろんお葬式の現場には様々なプロが携わっています。
いわゆる「葬儀社」といわれる人も葬儀のプロですが、亡くなった人の体を洗って納棺する湯灌士も葬儀のプロですし、告別式の司会を担当する人も葬儀のプロです。
外にも祭壇の花を担当する人や通夜ぶるまいで配膳や湯茶接待をする人もプロです。
つまりお葬式の現場というのは「それぞれのプロが共同作業で一つのお葬式を運営する」ということなのです。
あくまでも葬儀社がそれぞれのプロを手配しているので、葬儀を依頼するお客さんの立場では全部まとめて「○○葬儀社の人」と見えるのです。
大手の葬儀社だと社員の家族のお葬式には「遺族」として参加する
大手の葬儀社の場合、一日に何件ものお葬式を行います。
またお葬式といってもお通夜式から葬儀・告別式まで長いですので、それだけ1つの家族に携わる時間が長くなります。
そのため大手の葬儀社は葬儀スタッフの数も多く、しかも業務を細かく分類し分担させてスタッフを配置します。
ですから「病院にお迎えに行く人」「お葬式の打ち合わせをする人」「自宅や式場の準備をする人」「式場での誘導を担当する人」「式の司会をする人」「火葬場で湯茶接待をする人」「集金とアフターフォローを担当する人」のように、業務ごとに専属スタッフが分かれています。
ただこれだとお客さんとの窓口がバラバラになってしまうので、「担当者」を作り窓口を1本化します。
さらに担当者にもしものことがあった時に備えて、「副担当者」をつけます。
このようにすることで担当者が不在でも葬儀に影響がないようにしているのです。
つまりこのような仕組みになっているので大手の葬儀社の社員が自分の家族を亡くすと、「社員」ではなく「遺族」としてお葬式に参加することが出来るのです。
家族経営の葬儀社だと家族のお葬式でも「葬儀社」として携わる
家族経営の葬儀社の場合、スタッフのほとんどが身内です。
大手の葬儀社とは違い、スタッフ1人が何役もこなしながら進めていきます。
例えば葬儀の依頼が入ると、病院まで迎えに行く担当者がすべての担当になります。
式場の準備や各種手配なども全て一人でこなしますし、お葬式当日は式の司会進行も担当します。
もちろんほかのスタッフもサポートとして対応しますが、同時に複数の依頼があった場合のために待機スタッフも準備しなければいけません。
外部のスタッフ(人材派遣)を利用することもありますが、お葬式の担当を外部スタッフで対応することはできない事情もあります。
ただし家族経営の葬儀社の場合、身内の葬儀の依頼があるということはつまり「社員全員も関係者」となります。
ですからこのような場合は「葬儀社でありながら遺族でもある」というちょっと不思議な状態になります。
葬儀のプロであっても「知り合い」と「家族」では気持ちが違う
葬儀のプロといっても、亡くなった人の家族が知り合いという場合は「出来る限りのことをしたい(手伝いたい)」と考えるのが常識です。
ところが亡くなった人を直接知っている場合は、関係性によって変わります。
例えば「友人が亡くなった」という場合、「友人の代わりに私が最高のお葬式にしてあげよう」という気持ちになります。
もちろん悲しみはありますが、それ以上に責任感の方が強く芽生えます。
ところが「家族が亡くなった」という場合は違います。
自分以外の人が葬儀を担当してくれるのであれば「すべてをお任せしよう」という気持ちになります。
ただプロであるからこそついついいろいろな部分で葬儀社として手伝ってしまうことはあります。
でもあくまでもそれは「お手伝い」にすぎません。
葬儀に関わるスタッフとしても「今回は遺族として参加してほしい」という気持ちが強いので、いつもより多くのスタッフで式に臨みます。
結果として葬儀のプロであっても遺族の一員として式に参加することが出来ます。
ところが家族のお葬式を自分で担当する場合は大きく違います。
葬儀社でありながらも遺族ですから、これまで何度も立ち会ってきた場面でも全く別の景色に見えます。
普段なら絶対にありえない失敗をしてしまうこともありますし、集中したくても出来ないことがよくあります。
つまり葬儀のプロであっても、自分の家族の葬儀は全く別物なのです。
葬儀のプロだったからこそよかったエピソード
大好きなおじいちゃんのために父の日の花でいっぱいの花祭壇に…
葬儀社には花祭壇を専門にするスタッフがいます。
大手の場合は自社に生花部門があるのですが、小規模な葬儀社の場合は花祭壇専門の花屋に外注します。
この話は花祭壇専門の花屋のスタッフである20代の女性のエピソードです。
亡くなったのは女性スタッフのおじいちゃんでした。
幼稚園の先生の資格取得のために大学に行ったものの、どうしても花が好きだった女性スタッフ。
学費を出してくれた親の手前、将来の夢を両親に打ち明けらないまま大学の卒業の年を迎えます。
そんな彼女の想いを誰よりも理解し味方になって応援してくれたのが、亡くなったおじいちゃんでした。
お葬式の花祭壇は、基本的に使いまわしです。ですからデザインもほとんど同じですし、花の種類を限定するということはほぼ無理です。
これは業界の常識になっているので、花屋の女性スタッフも花屋でありながら自分が考えるおじいちゃんにピッタリの花祭壇を準備することはできないとあきらめていました。
でもおじいちゃんのお葬式の担当者(葬儀社のスタッフ)から彼女に一本の電話が入ります。
「大好きなおじいちゃんのために、あなたが思う最高の花祭壇を作ってあげなさい」
その一言を直接聞いた女性スタッフは「今回は遺族として参加しよう」と思っていたのを一転、自分で花の仕入れから花祭壇づくりまで担当することにしました。
そうしてできた花祭壇は、父の日の花である「ひまわり」で作られました。
夜遅くになっても納得できるまで何度も手直しをして作り上げた彼女は、出来上がったその瞬間大粒の涙をこぼしていました。
「プロとして」という気持ちだけでなく「おじいちゃんにかわいがってもらった孫として」という気持ちで作った花祭壇は、作り手の気持ちが伝わる温かい花祭壇でした。
葬儀のプロだからこそ辛かったエピソード
担当者になると遺族と葬儀社としてのはざまで「悲しんで良い場所」を失う
葬儀のプロだといっても、式に立ち会っている時に思わずもらい泣きをしてしまうことはあります。
でもそんな時に頭のどこかで「自分がこの家族のために最高のお葬式にしてあげよう」という想いになるので冷静になることが出来ます。
でも家族のお葬式の担当者になると、自分自身は悲しむ場を失います。
私の場合は、母のお葬式と祖母のお葬式を担当しました。
祖母のお葬式の時は「おばあちゃんの娘であるおかあさんを何とか支えなければいけない」という想いが強かったので、自分が悲しみに浸るというよりも使命感だけがありました。
ただ母のお葬式のときには違いました。
母の顔を死に化粧する時、脱脂綿を詰めるためにピンセットを鼻に差し込むことに戸惑いました。
これまで何千人という人を化粧してきたのに、母の死に化粧をする時、手が震えました。
打ち合わせをしていても、「故人の名前は…」と口に出した瞬間変な気分になりました。
この気持ちの悪いような感触は体を動かしている間は忘れることが出来ます。
でも祭壇の写真を見たり返礼品のお礼状に「故 ○○○○」と母の名前が書いてあるのを見ると、ひどく嫌な気持ちになりました。
それでも母のきょうだいや親戚、会葬者の前では、遺族ではなく葬儀社の担当者という顔で現場にいます。
そのため母のそばに寄り添いながらも、悲しみを口にすることもできませんでした。
お葬式が終わって母のお葬式を振り返ってみて、初めて一人で泣くことが出来ました。
それまでの私は遺族として悲しむ場がなかったのです。
これは正直言って相当つらかったです。
まとめ
葬儀社のプロが自分の家族のためにお葬式をするということは、良い面もあれば辛い面もあります。
ただ一つ言えることは、お葬式の現場に立っているプロのスタッフですら自分の家族のお葬式では「ああすればよかった」「もっとこうしてあげればよかった」と思うという事です。
葬儀社のキャッチコピーに「後悔をしないお葬式のために…」というフレーズをよく目にしますが、現場に立つ生の声を伝えるならば「後悔しないお葬式はない」が真実なのです。