お葬式にまつわる儀式は必要なの!?意味や由来を知れば納得できる!?

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人が亡くなるとお葬式にまつわる様々な儀式が行われます。

もちろんそれぞれの儀式には様々な意味があります。

ただし意味が分かったとしても「なぜ必要なのか?」という疑問を感じることがあるのではないでしょうか?

そこで今回は「お葬式にまつわる儀式」を「生まれてから大人になるまでの様々な儀式」と照らし合わせながらわかりやすく解説していきます。

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お葬式にまつわる儀式は生後の儀式とよく似ている

「生まれてからの通過儀礼」と「亡くなってからの通過儀礼」はよく似ています。

生まれてから亡くなるまでの間、人はたくさんの通過儀礼をおこないます。

それと同じように亡くなってからも長時間にわたって様々な通過儀礼があります。

 

・「誕生」と「死」の瞬間は誰にも分らない

命の誕生はとても神秘的です。

例えば妊娠の超初期段階の母親には、妊娠の自覚症状はほとんどありません。

それでもお腹の中には確かに新しい命が存在します。

母親が妊娠の自覚症状を感じる頃には、特殊なカメラを使うとお腹の中でその命の形が見えるところまで成長します。

 

もちろんこの段階で妊娠周期と出産予定日が分かります。

出産するまでの間、母親のおなかは少しずつ大きくなります。

そのふくらみ具合を見ることによって、周囲の人も誕生が近いことを自覚していきます。

 

ただし出産予定日はわかっても、実際にいつ生まれるのかということは誰にも分りません。

予定日よりも早いこともあれば遅れることもあります。

どちらにしても誕生するその瞬間まで、その時がいつであるのかについてはわからないのです。

 

これは人の死ともよく似ています。

医療技術が進んできている現代では、かつては不治の病といわれたものが完治できる時代になりました。

また新しい薬や治療方法の開発によって、病気になっても治療をしながら普通の生活が出来るようにもなりました。

それでも人として生まれたからには、必ず死を経験しなければいけません。

その瞬間はいつであるかはわかりません。

この事実だけを見てみると、命の誕生と死は同じだといえます。

 

・誕生後に行う儀式と死亡後に行う儀式もよく似ている

人としてこの世に生まれた直後にまず初めに行うのが、家族との対面です。

家族との対面が終わると産湯に入れ、産着を着せます。

ではこれを「亡くなった後に行う儀式」と照らし合わせてみましょう。

 

まもなく死が訪れると判断されると、危篤の連絡が入ります。

その連絡を受け、家族や近親者たちが駆け付けます。

そしてその時が訪れ医師の死亡宣告を受けると、臨終となります。

 

亡くなるとお葬式を行うまでの間安置する場所へと移動します。

安置が終わるとまずは体を洗います。

これを「湯灌の儀式」といいます。

 

昔は一族の女性たちが亡くなった人の体を自宅で湯灌していましたが、今では湯灌士と呼ばれる湯灌専門の葬儀スタッフによって行われます。

湯灌が終わると、最後に身に着ける衣装となる死装束を着つけます。

死装束は、誕生のシーンにいいかえれば「産着」となります。

どちらも身に着けるのは最初で最後となります。

 

・戒名はどうして必要なのかを「命名式」と併せて考えてみる

日本で行われるお葬式の多くは仏教式です。

仏教式のお葬式では、必ず戒名が必要になります。

戒名は「仏門に入った後に授けてもらう名前」です。

ではなぜ仏教のお葬式では戒名が必要なのでしょうか?

 

そのヒントは「命名式」にあります。

命名式は、生まれてきた赤ちゃんに名前を付ける儀式です。

名前が付けられるまでの間、赤ちゃんは様々な呼ばれ方をします。

でも名前が決まってからは一生その名前で生きていくことになります。

 

名前を決める時期は人それぞれです。

生まれる前にすでに名前が決まっている場合もありますし、生まれてからしばらくしてから名前が決まる場合もあります。

でも一度決まった名前は、よほどの事情がない限り一生変わりません。

 

実はお葬式の時の戒名も同じなのです。

戒名をいただくには、まずは仏の弟子になるための準備をしなければいけません。

これまで仏の世界とは無縁の人生を送ってきた人であれば、まずは仏の世界に入るために「仏教入門編」を学ばなければいけません。

その後必要な身支度をし、髪を剃り、仏弟子として修業をするための準備を整えます。

 

全ての準備が整うと、ようやく仏弟子となることが出来ます。

何しろ仏教では亡くなってから49日間の修行をしなければ生まれ変わることが出来ないといわれています。

ですから仏様の世界に生まれ変わることが出来るように、きちんと旅に出て修行をしなければいけないのです。

 

でも修行をするには俗世を捨てて仏門に入らなければいけません。

俗世を捨てるということはこの世の名前も捨てなければいけません。

つまり戒名がない状態で仏門に入ってしまうと名前のない仏弟子になってしまうのです。

 

これではさすがに修行をするのに困りますので、仏の世界で名乗ることが出来る戒名をお坊さんから授かります。

これがお葬式で一番初めにお坊さんにやっていただく儀式です。

もちろん戒名は生きているうちに授けてもらうことが出来ます。

生きているうちに戒名をもらっておけば、気に入る名前にしてもらえるまで何度でも時間をかけてお願いすることが出来ます。

ただし一度授けられた戒名は、変えることが出来ません。

ですから戒名と命名式は非常に良く似た儀式といえます。

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生後7日目と死後7日目に行うそれぞれの通過儀礼にも共通点がある

生後7日目と死後7日目には、それぞれ大切な通過儀礼があります。

まず生後7日目に行う通過儀礼が「お七夜」です。

お七夜の主役は生まれてきた赤ちゃんです。

そして生まれて初めて行うお祝いの席でもあります。

 

お七夜が行われるようになったのは平安時代の頃といわれています。

当時は生まれてきた赤ちゃんの生存率が低く、一週間以内に亡くなってしまう赤ちゃんもたくさんいました。

そのため7日目を無事に迎えることが出来ると盛大に祝い、祝いの席で赤ちゃんのお披露目に合わせて命名式が行われるようになったのです。

 

では死後7日目に行われる通過儀礼にはどのような意味があるのでしょうか。

亡くなってから7日目に行われるのは「初七日法要」です。

初七日法要は亡くなってから49日目まで7日ごとに行われる追善供養のことを言います。

追善供養が行われるようになったのは古代インドの死後の世界観に由来するといわれています。

 

古代インドでは、人は亡くなっても生まれ変わることが出来ると考えます。

ただしすぐに生まれ変わると言わけではありません。

49日という時間をかけてあの世に旅立つための準備をします。

それまでの期間、死者の魂はあの世とこの世の間をさまよっています。この期間を「中陰(ちゅういん)」といいます。

 

中陰期間中の死者の魂は7回の裁判を受けます。

この裁判は次の生まれ変わる世界を決めるための大事な裁判です。

中でも死後7日目に行われる裁判は、死者の魂に対して最初の裁きが言い渡される日です。

ですから中陰期間中に行われる追善供養の中でも最も大切な日とされています。

「枕飯」と「産飯」には2つの共通点がある

「枕飯」と「産飯」には2つの共通点があります。

1つは「どちらもその事実が起きた直後に作る」ということです。

そのため枕飯は、亡くなってすぐに作ります。

そして産飯も出産直後に作ります。

 

産飯を生まれた直後に作るのは「産神様にお供えするため」といわれています。

準備した産飯は産神様にお供えした後、生まれてきた赤ちゃんやその母親が食べるといいます。

ただし実際に赤ちゃんやその母親が食べることはできません。

ですから無事に誕生したことを神様に報告し、感謝するという意味で準備したと考えられます。

 

これに対して枕飯は、死者に対する供物として準備するものです。

亡くなった直後に作るもので、「この世で最後の食事」といわれています。

亡くなった直後に作る由来は諸説ありますが、「死者の魂が亡くなってすぐに霊山詣に行くため取り急ぎ作る弁当の意味で作る」というのが有力な説です。

 

ただかつては野辺送り(墓地への埋葬)の際に棺と共に枕飯を埋葬したといわれていますので「この世で最後の食事」という意味が強かったといえます。

ちなみに産飯と枕飯にはもう一つの共通点があります。

それはどちらも高盛飯であるということです。

 

高盛飯は人生で3回しか作りません。

生まれて初めて作るのが産飯で、人生最後の高盛飯が枕飯です。

そしてもう一つ大事な通過儀礼である結婚式でも、同じく高盛飯が使われます。

ただしお葬式の高盛飯だけは、真ん中に箸を立てます。

これは「死者の食事」という意味があるといわれています。

まとめ

お葬式にまつわる様々な儀式も、人が生まれてから行う様々な儀式と照らし合わせてみると由来やその意味に共通点が多いことが分かります。

もちろん赤ちゃんが生まれた時に行う儀式も考え方の違いや時代の変化によって人それぞれ違います。

実はお葬式の儀式もそれと同じことがいえるのです。

 

ただ意味が分かったうえで「やる」「やらない」の選択をするのと、意味が分からないまま「やる」「やらない」ではその結果に大きな違いがあります。

人生で一度きりの出来事なのですから、きちんと納得したうえで結論を出すことがベストな選択だといえるでしょう。

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