終活を始めるとどこかのタイミングで必ず向き合わなければならなくなるのがお葬式です。
でも「生きているだけでもいろいろなお金が必要になる時代にどうして死んだあとまでたくさんのお金をかけてお葬式をしなければいけないのか」とふと疑問に思ったりしませんか?
確かにお葬式にかかる費用は高いです。
でもやらないというわけにはいきません。
それでも冷静に考えてみると「どうしてこんなに高いお金を払って意味が分からないことをしなければいけないんだ?」と思うこともあるはずです。
そこで今回は「お葬式はなぜやらないといけないのか」ということを様々な角度から解説。
納得をして終活を進めるためのヒントを紹介していきます。
お葬式は死んだ人のためにするものではない
「お葬式はなぜやらなければいけないの?」という疑問が浮かんできたとき、まず頭に浮かぶのが「亡くなった人のため」という言葉なのではないでしょうか?
確かにお葬式は誰かが死ぬからこそ必要になります。
でも「亡くなった人のためにお葬式は必要」というのであれば、本人が「葬式はいらない」といえばやらなくても良いはずです。
つまりお葬式は「亡くなった人のために行うものではない」ということです。
では一体だれのためにお葬式を行うのでしょうか?
・お葬式は「死の確認作業」
お葬式には様々なスタイルがあります。
でも最もシンプルにお葬式を考えるとすれば、「火葬をする」ということになります。
ただし「火葬をすることだけが目的」であれば、それはお葬式とは言いません。
「火葬」は、とても簡単に説明すると「遺体の処理」となります。
今の日本では99.9%火葬によって遺体を処理します。
でも世界を見れば火葬をしない国だってあります。
例えばアメリカを例に見てみると州によって火葬率は変わるものの、全体的には40%弱にとどまっています。
同じアジア圏である中国や韓国では、もともとは土葬が主流です。
ただ近年では人口の増加などを理由に国が火葬を奨励しています。
そのため50%前後だった火葬率も2015年以降になると80%以上にまで上がっています。
つまり「火葬をする=お葬式」であるとすれば「土葬=お葬式ではない」ということになります。
このように土葬を例にして考えてみると、お葬式をするということが単なる遺体の焼却処理ではないということが分かります。
ではどうして人はお葬式をするのでしょうか?
この質問に正しく答えるということは難しいことかもしれません。
ただ心理学的に言えば「死の受容」の1つであるとえます。
■「医師の死亡宣告=死を受け入れる」ではない
日本では亡くなると医師の死亡宣告(例外は除く)によってはじめて死亡が確認されます。
も医師の死亡宣告を受ければ、素直に家族がその死を受け入れるということではありません。
医師の死亡宣告は立ち会う家族にとっては大きなショックです。
でもショックを受けたからといって、すぐにその事実を受け入れられるほど人の心は単純ではありません。
死亡宣告を受けた家族には「死んでしまった」ということを拒否する気持ち、「なんで死んでしまったの!」という怒りの感情、「もう死んでしまったのだ」という喪失感など様々な感情が襲ってきます。
それでも亡くなってしまった以上、葬儀社を手配し火葬を行うまでの手配をしなければいけません。
でもこれは人が亡くならなければ「やる必要のない出来事」です。
大切な人が死んでしまうということは何度もあることではありません。
なぜなら「同じ人間はいないから」です。
ですから家族を何度も看取ったとしても、その時々に感じる感情は違います。
このように家族は様々な感情にさらされながらも、火葬をするまでに向けて様々なことを体験していきます。
寺院を手配して読経供養をしてもらうのであれば、それに立ち会い共に焼香します。
棺に遺体を納める納棺式にも立ち会いますし、故人と過ごす最後の夜である通夜にも立ち会います。
こうした一つひとつ体験は、すべて人の死がなければ必要のないことです。
でも火葬されるまでの様々な体験を通して、目の前にある大切な人の死が間違いのない事実なのだということを少しずつ確認していきます。
それでもこの段階ではまだ本当の意味で死を受け入れていません。
大切な人の死を「もはやまぎれもない事実なのだ」と強く確認することになるのが「火葬」です。
火葬されるまでは「もしかしたら生き返ってくれるのかもしれない」「これは現実ではなく夢の中の出来事なのだ」と思うこともできます。
でも火葬をされて遺骨となった姿を見ると、死はゆるぎない事実であるということを初めて認めることになります。
もちろん本当の意味で人の死を受け入れるには、ここから長い時間が必要になります。
それでも医師の死亡宣告から火葬されるまでの間、何度も繰り返し死の確認をすることによってはじめて「決定的な死」を受け入れる心の準備が出来るのです。
・死の宣告は3回ある
現在の日本では病院で最期を迎える人の方が圧倒的に多いです。
病院で最期の時を迎えると、担当の医師がペンライトや聴診器などで直接確認した後「〇時〇分、お亡くなりになりました(死亡を確認しました)」と家族に伝えます。
これがいわゆる「死亡宣告」です。
ただ死亡宣告というのは「実際に息を引き取ったのを確認した時間」ということではないことが多いです。
例えば「医師の到着の前に息を引き取った場合」や「家族が臨終に立ち会えなかった場合」などもあります。
このような場合は、実際に亡くなった時間と死亡宣告をした時間はズレます。
いずれにしても医師の死亡宣告があって初めて死亡診断書が書かれます。
これが最もわかりやすい「死亡宣告」です。
ただし死亡宣告はこれだけで終わるわけではありません。
お葬式をするとなると、医師が行うものも含めて全部で3回の死亡宣告が行われます。
それが「宗教者による死亡宣告」と「喪主が行う死亡宣告」です。
・葬儀式は宗教者が行う第2の死亡宣告
お葬式には2つの儀式があります。
1つが「葬儀式」で、もう1つが「告別式」です。
葬儀式というのは「宗教者」が中心となって行う儀式です。
日本で行われるお葬式の多くが仏教式ですので、大抵の場合「宗教者=お坊さん」となります。
お坊さんが中心となって行う儀式は、読経供養と焼香です。
ここで一番わかりにくいのがお坊さんの読経です。
お経には様々な種類がありますし、宗派によっても内容が変わります。
でも共通しているのは「宗教上の死の宣告をする」ということです。
お経の中では「あなたはもうこの世を去った人です。心穏やかに仏の世界に行きなさい」と亡くなった人に対してお坊さんが諭します。
その上で仏教の教えを亡くなった人に読み聞かせ、仏の世界で考える極楽浄土を願います。
これが葬儀式で行われる読経供養です。
つまり宗教者による死の宣告は亡くなった人に対しておこなうものであり、家族や親族は間接的に死の宣告を受けるということになります。
・告別式は社会的な死を宣告する場
告別式は故人とゆかりのある人々が集まり弔意を表す場です。
これは「社会的な死の宣告」といいます。
訃報連絡を受け弔問に訪れ、その場に立ちあうことによって「本当に死んでしまったのだ」ということを体験と共に受け入れます。
そのために行うのが「告別式」です。
亡くなった人が社会の誰ともつながりがなかったのであれば告別式を行う必要はありません。
でも生きている限り社会とかかわりを持たずに生きるということは不可能に近いことです。
だからこそ社会的な死の宣告を行う場である「告別式」が必要になるのです。
死んだ後の儀式に疑問を持つのであれば生前葬をすればよい
死んだ後に行われる様々な儀式に疑問を持つのであれば、葬儀・告別式を生前に行うという方法もあります。
これを「生前葬」といいます。
生前葬のメリットは「自分のお葬式を自分で体験できる」ということです。
付き合いがあった人や大切な人に直接会ってあなたのメッセージを伝えることが出来るのですから、死後の様々な儀式に疑問がある人にとってはこれ以上ないメリットといえます。
さらに生前葬であればすでに社会的な死の告知も宗教的な儀式も全て終わるのですから、実際に亡くなった後は火葬のみを行えばよいのです。
これなら死んでから意味の分からないことにお金をかける必要がなくなります。
火葬は遺体の処理のために必要なことですし、棺や骨壺も遺体を火葬するからこそ必要になるものです。
やらなければならないことのために必要なものを準備するだけなのですから、あなた自身も全てに納得してお金を準備することが出来るはずです。
でもあなたの周りで実際に生前葬をしている人が果たしてどれだけいるでしょうか?
この質問のあなたの答えが「死んだ後にお葬式をする意味」です。
そしてその答えを出すことで初めて見えてきたお葬式のイメージこそが、これからあなたが終活の中で進めていく「あなたのお葬式」となります。
縁があった人のために行うのが「あなたのお葬式の意味」
お葬式は残される人のためにあるものです。
お葬式の規模は、あなたが生きている間に出会った人や携わった仕事などがすべて反映されます。
つまりお葬式は「人生そのもの」なのです。
ただあなたがこの世を去った時、あなたはそのあとの世界を残念ながら見ることはできません。
でも残される人は、あなたがいなくなった後もこの世界で生き続けます。
生きているということは記憶を持つということでもあります。
この世で生きている誰かの記憶にあなたのことが残っていれば、それはある意味で「あなたは生きている」ということになります。
でも現実的にはあなたが生き返るということではありません。
つまりあなたの記憶を持つ人は「永遠の別れ」という事実に対して何らかの感情にさらされるということです。
「悲しみ」「怒り」「感謝」「苦しみ」…。
こうした感情もあなたが亡くなってから初めて生まれるものなのです。
お葬式はこうした様々な感情を公の場で吐き出すことが出来る場所でもあります。
感情を吐き出すことで、残される人はほんの少しだけ心が救われます。
でも感情を吐き出すことが出来なければ、残される人はいつまでもその感情を胸の内にとどめておかなければいけなくなります。
つまりあなたのお葬式はあなたのためだけにあるのではなく、あなたと縁のある人の心をほんの少しだけ軽くすることが出来る大切な時間。
そう、あなたからの最後のプレゼントでもあるのです。
お葬式をすることによって亡くなってからもあなたが誰かの心を救うことが出来るのだとしたら、それはあなたが終活で自分のお葬式について考える意味になるのではないでしょうか?
まとめ
自分のお葬式について考えるということはなかなか難しいものです。
でもお葬式があなたのためだけにあるものではないということが分かれば、あなたの中でも少しイメージが変わってくるはずです。
大切な人のために残してあげられるのはお金だけではありません。
そのためにももう少しだけ自分のお葬式についてゆっくりと考えてみませんか?