沖縄のお葬式の風習としてあった洗骨ってどんな事をしていたの!?

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沖縄出身のお笑い芸人であるガレッジセールのゴリこと照屋年之監督がメガホンを取った映画『洗骨』。

2019年2月に公開予定のこの映画では、日本を代表する実力派俳優・奥田英二さんや筒井道隆さんなどがキャストとして出演しています。

そんな映画『洗骨』は、かつて沖縄県内のどの地域でも見られたお葬式の風習・「洗骨(せんこつ)」が物語のキーを握っています。

でもこの「洗骨」という風習は、現代を生きる沖縄の人々の中でもその実態を知っている人はもうそれほど多くはいません。

ただこの風習の歴史や意味にはいろいろなものがあります。

今回は映画のタイトルにもなった沖縄の古いお葬式の風習「洗骨」について紹介してみます。

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沖縄のお葬式の風習「洗骨」って何をしてたの!?

沖縄のお葬式の風習である「洗骨」を知るには、かつての沖縄のお葬式について少し知っておく必要があります。

日本では古くから「亡くなった人は土に埋める」つまり埋葬が一般的でした。

日本のことわざの一つに「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますよね?

この言葉は「一見すると関係がないように思えるところに影響が及ぶ」ということのたとえとして使います。

ここで注目したいのが「桶屋」の存在です。

 

桶屋と天気は一見すると何も関係がないです。

でも風が吹けば病気になる人が増えますよね?

昔は庶民の生活の中に「医者」はそれほど身近ではありませんでしたから、ちょっとした病気がもとで死んでしまうこともよくありました。

 

当時の日本では、人が死ぬと遺体を桶に納めて埋葬しました。

だから死者が増えると遺体を納めるための桶の需要が増えたわけです。

これがこの言葉が生まれた背景にあります。

ちなみに遺体を収めた桶を埋葬したら、その場所が大切な場所であることを示すために石を置きました。

これが現在の日本のお墓の原型ともいわれています。

 

さて問題は沖縄です。

沖縄のお葬式には「埋葬」という言葉はもともと当てはまりません。

沖縄では古くから遺体を土に埋める「埋葬」ではなく、自然の岩場などに安置し白骨化させる「風葬」が行われていました。

 

お墓という原型が出来上がる前は、それこそ風通しの良い山の上などに遺体を置き、数年かけて白骨化させるという方法でした。

そのうち岩山に横穴を掘ったスペースに遺体を安置し、獣などから遺体を守るために柵をたてました。

これが沖縄のお墓の始まりだといわれています。

 

さらに時代が進むと山や岩肌に横穴を掘りその中に遺体を安置し、柵の代わりに扉をつけて同じく数年かけて白骨化させます。

これが亀甲墓といわれる伝統的な沖縄のお墓の原型です。

そしてこのあたりから「洗骨」と呼ばれる風習が生まれてきます。

 

・昔のお墓には「シルヒラシ」と呼ばれる遺体安置場所があった

かつての沖縄のお墓には、「遺骨を安置する場所」と「遺体を安置する場所」が分かれていました。

この時代においても沖縄では風葬がベースにありますから、遺体を埋葬する風習はありません。

そのかわり墓の入口に最も近い場所には「シルヒラシ」と呼ばれるスペースがあります。

「シルヒラシ」とは「シル(体液)ヒラシ(干す・乾かす)」という意味があります。

 

ちょっとリアルな話をしますが、遺体が白骨化するまでには「腐敗」という過程があります。

腐敗はその言葉通り「腐る」ということです。

だから遺体を収めた棺箱からは腐敗によってたまった体液(腐敗の過程で起きる液体)がにじみ出てきます。

にじみ出た体液を効率よく乾かすことで、遺体は効率よく白骨化します。

だから昔の沖縄のお墓には「シルヒラシ」と呼ばれる遺体安置専用の場所があったわけです。

 

・洗骨は「2回目のお葬式」

シルヒラシに安置され白骨化させた骨は、決められた年数がたつと墓から取り出し海の水を使ってきれいに浄めます。

そして今度は遺骨専用のスペースに安置されます。

ただ「白骨化」といっても洗骨前の骨は「白骨」という言葉とは程遠かったといいます。

肉は所々骨にこびりついていましたので、骨に残った肉はそぎ落とさなければいけません。

 

このような作業を経て言葉通りの「白骨」になると、初めて「清らかな魂になった」となります。

シルヒラシがある場所は、墓の床の部分です。もちろん骨になるまでの間安置されるわけですから、決してキレイな場所ではありません。

「不浄の場所」です。

だからその場にいる間は、その魂は穢れたままだと考えます。

 

洗骨では不浄の場所にあった穢れた魂を一度墓の外に取り出し、骨に残った穢れをすべてそぎ落としてから聖なる存在である神が祀られている墓へと再び戻されます。

この時に洗骨された死者の魂はすでに浄められていますから、再びシルヒラシへ戻されることはありません。

洗骨というと「骨を洗う」ということだけがクローズアップされてしまうかもしれませんが、もともとはそうではありません。

 

分かりやすく言うと「2度お葬式をする」ということです。

1度目は「シルヒラシに遺体を安置し生きていた時の姿からのお別れ」となるお葬式。

2度目が「シルヒラシから洗骨を経て神様の世界へ送るお別れ」としてのお葬式です。

 

だからかつての沖縄では、お通夜というものがありません。

亡くなると、その日のうちにお墓に遺体を連れていきシルヒラシに安置します。

次に対面するのは「洗骨」の時です。

この時には生前の姿ではなく、骨となった姿で死者と対面します。

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沖縄のお葬式の風習「洗骨」がなくなっていった理由

洗骨という風習は、現在の沖縄ではほとんど残っていません。

今の日本では遺体は99.9%以上火葬されます。

火葬された遺骨には肉片などは残っておらず、まさに「白骨」です。

ですからかつてのように「シルヒラシ」に安置する必要がなくなりました。

 

もちろん映画『洗骨』のように、今でも洗骨を行う姿を沖縄本島内で見かけることはあります。

でもこれはあくまでも古くから残る風習の延長であり、かつて沖縄全域で行われていた『洗骨』とは違います。

 

・洗骨は精神的苦痛を伴う儀式だった

火葬が普及する以前の沖縄では、「シルヒラシで骨にする→一度取り出す→洗骨してから墓に戻す」が一般的でした。

でもシルヒラシで白骨化させた骨は、言葉通りの「白骨」ではありません。

骨には黒く変色したまま肉片がこびりついていますし、その臭いは言葉として表現できるものではありません。

しかも墓の中は密閉された状態ですから、その中は強烈な腐敗臭が立ち込めています。

 

私は葬儀の現場で働いていますから、一部白骨化した腐乱死体の様子や密閉された状態で長期間腐敗した遺体の発する腐敗臭がどれほどのものなのか体験を通して知っています。

ただ「どんな臭い?」「どんな見た目?」と聞かれても、言葉にして表現することが出来ません。

思い出すだけでも激しい吐き気・頭痛・気持ちの悪さが起こります。

これは実際にこの状況を体験したことがある人にしかわかりません。

 

でも洗骨では、これを「身内」が行わなければいけないのです。

葬儀社であれば死んだ人の生前の記憶がありません。

ですからこのような場面に遭遇したとしても、頭の中で「仕事・仕事…」と唱えることで何とか精神的に乗り切れます。

ところが洗骨は、亡くなった人の親族が行います。

しかも男性は立ち会いません。

すべて女性たちの手で行われます。

 

骨にこびりついた肉をそぎ落とすのも、強烈な悪臭の中でその作業を行うのも全て女性です。

しかもその作業をする女性たちには、骨となってしまった人との思い出や記憶をたくさん持っています。

その記憶を持ちつつ、これだけ過酷な作業(本来は「儀式」というべきなのでしょうが、実際に作業に参加していた人の話では「作業」という言葉で表現していたためこの場ではあえて使わせてもらいました)を親族の女性たちだけで行うのです。

 

だから女性たちの間から「火葬の普及」を懇願する声が高まります。

「精神的苦痛を伴う洗骨から解放されたい」と願う女性たちの声が、沖縄初の女性運動となり一気に火葬の普及が広がります。

ただしこうした洗骨の歴史は、沖縄の人々の中でも忘れられてしまった記憶です。

私も今から20年ほど前に昔ながらの洗骨を体験した人の話を聞いたことがあるだけで、その話がきっかけになって沖縄全域の史書を読みこの事実を知りました。

 

ただそのことを知ったうえで改めて洗骨について向き合ってみると、「良き風習」とも「悪しき風習」とも言えないのです。

忘れ去られた風習・消えてしまった風習には、洗骨に限らず何かしらこうした2つの面があるのでしょう。

沖縄の葬儀に関する風習で消えたもの

洗骨という風習についてクローズアップしてしまったため書きそびれてしまいましたが、実は沖縄には遺体に関するもう一つの「消えた風習」があります。

かつての沖縄では、死者が出ると夜を待たずその日のうちに墓に遺体を移動させシルヒラシに安置してお別れをしました。

確かにここまでは前述したとおりです。

でも前述の中では「その後、次に死者と対面するのは洗骨の時」といいましたが、実はそこが違います。

 

亡くなったその日のうちに墓に遺体を納めていたかつての沖縄のお葬式ですが、大切な人を失った人の悲しみは昔も今も変わりません。

しかも昔は今のように医学が発展していませんでしたから、人の死を受け入れる決定的な証拠のようなものはありません。

だから「もしかしたら生き返っているかもしれない」という想いも家族にはあります。

 

だから家族は夜になるとシルヒラシに安置した棺を墓から取り出し、様子を確認します。

これは「本当に死んでいるのか?」ということを確かめるのではなく「もしかしたら生きているかもしれない」ということを確認する意味の方が強かったはずです。

ただ亡くなってしまった人の体は必ず腐敗します。

腐敗が進めば体も変色しますし腐敗によって体全体が膨らんできます。

また生きているとは到底思えないような強烈な腐敗臭もしてきます。

 

こうした状況が見られるようになると「ああ、もう生き返ることはないのだ」と思うことが出来ます。

その事実が現実のものとして受け入れられた時に、初めて墓の扉を開けることを辞めます。

そして次に対面するのが洗骨のときです。

これもかつては沖縄全域で見られたお葬式の風習です。

 

もちろん今の沖縄にはこの風習はありません。

消えてしまった風習です。

記録の中だけでしか知ることが出来ない風習です。

でもこの風習の存在を知れば、「かつての沖縄では亡くなったらその日のうちに墓に納めていたこと」「洗骨と呼ばれる2度目のお葬式をしていたこと」の2つの風習に大切な人との別れを偲ぶ沖縄の人々の心が見えてくるのではないでしょうか?

まとめ

今回は『洗骨』というタイトルで公開される映画にちなんで、沖縄の風習「洗骨」を紹介してみましたがあなたの中でこの風習のイメージはどう変わったでしょうか?

洗骨はかつて沖縄全域で見られる風習でしたが、今ではほとんど見られなくなりました。

他にもお葬式にまつわる風習で消えてしまったもの、忘れ去られたものがたくさんあります。

 

でもこれは沖縄に限ったことではないですよね?

きっとあなたが住む地域でもあるはずです。

風習やしきたりは面倒なことも多いですが、その意味を知ってみると昔の風習・しきたりを大事にしたいという気持ちになることもたくさんあります。

こうしたこともお葬式においてはとても大事な「気づき」だと思います。

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