現役湯灌士の記憶に残っている死に装束・自分で選ぶならどうする!?

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私は葬儀ディレクターでありながら、遺体の専門家である「湯灌士(ゆかんし)」でもあります。

湯灌士は、亡くなった人の最期の身支度をするだけでなく、遺体の状態を保つための処置も行います。

ですから死に装束のお着付も本業なのです。

さてその死に装束ですが、今から20年以上前は宗教のしきたりに従って衣装を準備するのが一般的でした。

例えば仏式の場合は白い着物に旅支度ですし、神道の場合も白い専用の衣装に着替えます。

ただこの当時から「最期の衣装は本人が一番好きだった衣装を着せたい」という要望は時々ありました。

ですから当時も家族から希望があれば、家族が用意した衣装を着せることがありました。

最近は宗教のしきたりで決められている死に衣装よりも、故人の愛用の服を着せてあげたいという人の方が多くなってきました。

そんな中、湯灌士である私も自分の最期の衣装について考えることが増えてきました。

特に身内の葬儀に立ち会うことが増えてくるとその回数が増えてきた気がします。

そこで今回はこれまで湯灌士として身支度に立ち会ったときに「これはいいな」と思った死に装束とそれにまつわるエピソードを紹介しながら、亡くなった人の身支度のプロが考える「自分の死に装束」について考えてみようと思います。

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湯灌師が出会った記憶に残る死に装束

・野球チームのユニホーム

これは定年退職後、地元で子供たちの野球チームの監督を長年務めていた男性の死に衣装です。

彼の場合、最初は仏式の死に装束でお支度をしました。

ところが着付けが終わり布団に眠る男性の姿をじっと眺めていた男性の孫が、「なんだかおじいちゃんじゃないみたい」と一言いいます。

 

このセリフは決して珍しいことではありません。

やはり全身真っ白な衣装を身に着けた姿を見ると、「本当に死んでしまったのだなぁ」ということを実感させられます。

その上、生きているうちに一度もそのような衣装を身に着けたことがないわけですから、家族であれば「らしくない」と思う人は多いのです。

 

でも彼の場合はどうやら違ったようです。

話を聞いてみると、亡くなった男性は定年後ほとんどの時間を野球チームのユニホームを着て過ごしていたといいます。

平日も子供たちの学校が終わると夕方まで野球の指導をしていたそうですし、休みになると朝から練習試合を兼ねて一日中監督として現場にいたそうです。

だから孫の印象では「おじいちゃんはいつも野球のユニホームを着ている人」というイメージが強かったのです。

 

その話を聞いて「おじいちゃんのユニホーム、持ってこれる?」と尋ねると、すぐにカバンから取り出してきました。

どうやら副葬品としてユニホームを棺に入れるつもりで持参していたようです。

そこで白い着物から野球チームのユニホームに着せ替えます。

一緒に準備されていたチームの野球帽は「顔が隠れてしまう」と思ってあえて外していたのですが、そばで着せ替えを見ていた孫が「おじいちゃんの帽子を忘れているよ」といってきたのでつけることにしました。

 

全部の着せ替えが終わると側にいた孫が「いつものおじいちゃんだ!」といい、同じく近くにいた家族からも「いつものおじいちゃんだわ」という声が続々と聞こえてきました。

彼のお通夜には、監督を務めていた野球チームの子供たちやその保護者も最後のお別れにたくさん駆けつけていました。

その時もユニホーム姿の彼を見て、「監督、ありがとう」と口々に言っていました。

 

ちなみに彼の遺影写真も、死に衣装と同じ少年野球チームのユニホームを着ていました。

そして出棺の時には、おそろいのユニホームを着た野球チームのメンバーが一列に整列。

そして帽子を取って「ありがとうございました」と一礼した後、霊柩車は静かに出発したのでした。

 

・50年前の花嫁衣裳

80歳になる女性の最期の衣装は、黒振袖でした。

年代物の黒振袖は、彼女の花嫁衣装でした。

話を聞くと実家から遠く離れた家に嫁ぐことになった娘のために、彼女の母親が反物から仕上げた手縫いの黒振袖だったそうです。

ただおよそ半世紀前の黒振袖でしたので、大事に保管されていたとは言うもののところどころ傷んでしました。

 

そのため彼女の娘たちは、「お母さんが普段つけていたお気に入りの着物を着せてあげましょうよ」と喪主である父親に語り掛けるのですが、父親は頑として譲りません。

結局娘たちも「お父さんがそういうなら…」と半ばあきらめて了承します。

着付けが終わり死に化粧を施すと、80歳とは思えないほどキレイな花嫁姿になりました。

その姿を見た娘たちは「やっぱりキレイね」といって納得していました。

 

この話にはその後、もう一つのエピソードがあります。

娘たちが席を外し、納棺後の処置をしていた私に喪主である夫がもう一つのお願いをしてきました。

それが「一緒に写真を撮ってくれないか」でした。

手渡されたカメラで黒振袖を着た彼女と喪主の夫の2人を写真に撮ると、ようやく彼が笑います。

 

実は彼女と彼の結婚式の写真は戦争で焼けてしまったのだそうです。

だから「銀婚式にもう一度写真を撮ろう」という話をしていたそうなのですが、その時を迎える前に病気が分かり闘病生活に入ったのだそうです。

だから彼は彼女との約束を果たすために、50年前の花嫁衣裳を最期の衣装にすることを決めたのでした。

 

・最初で最後の白いドレス

長く闘病生活をつづけた末、わずか6歳でこの世を去った小さな女の子の身支度を担当したときのことです。

自宅に安置されていた彼女の体は、6歳とは思えないほど細く小さかったのを覚えています。

生まれつき重い病気を抱えていた彼女の腕は、長い闘病生活がどれだけ過酷だったのかを物語るたくさんの痣がありました。

人生のほとんどを病院で過ごしたそうなので、準備されていた洋服は姉のワンピースでした。

 

「本当は彼女にドレスを着せてあげたいんです。でも娘のそばを離れることが出来ない…」

彼女の母親はそう言いながらもずっと彼女の手を握っていました。

当時の私は流産を経験したばかりで、いろいろな意味で母親の気持ちが胸に突き刺さっていました。

「私が買ってきましょうか?」

私はその時何も考えずにそう答えました。

正直に言っておきますが、この時の私の行動は本来の湯灌士の仕事の域を超えています。

でもその時の私はそこまで考えることは出来ませんでした。

 

私の提案に彼女の母親も驚いた顔をしましたが、すぐに私の手を両手で握って何度も頭を下げながら「お願いします、お願いします」と頼んできました。

彼女の母親からの要望は、将来着せてあげるはずだったウェディングドレス。

さすがに6歳の女の子が着るウェディングドレスはないので、フラワーガール用のドレスを探してくることにしました。

 

準備したドレスに着せ替え、腕全体にあった痣を化粧で消したあとマリアベールをつけ、花屋にお願いして作ってもらった小さなフラワーブーケを持たせました。

そして最初で最後のお化粧を母親にしてもらうと、6歳の小さな女の子は世界でただ一人のステキな花嫁さんになりました。

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最後の衣装は「自分が着たい服?」それとも「家族が着せたい服?」

これまでたくさんの現場に立ち会ってきたのですが、最期に身に着ける衣装を「自分であらかじめ準備する」と「家族に任せる」のどちらが本当に良いのかまだ私にはわかりません。

「自分であらかじめ準備する」というのは、いざお葬式となった時には家族のためになります。

しかも最近は「終活」がブームですので、あらかじめ自分の死に装束を準備したとしてもそれほど特異なことではなくなってきました。

 

でも元気なうちに自分の死に衣装を準備している姿は、見守る家族としては複雑な思いになります。

だからその様子を見ても「言い出したら聞かないから」「自分でやるというのだからやらせておこう」など消極的にしか受け入れられないです。

 

これに対して「家族に任せる」は、いざとなった時に家族が悩みます。

「何を着せればいいのだろうか」ということを葬儀の慌ただしい中で考えなければいけません。

その代り生きているうちにお葬式のことを考えることはないので、見守る側の立場としては幾分気が楽です。

つまり死に装束は「あらかじめ準備する」としても「お葬式になってから準備する」にしても、どちらも何らかのデメリットがあることは確かなのです。

湯灌士の私が自分の死に衣装を準備するなら「着物」

湯灌士と立場で私が自分の死に衣装を準備するとすれば、間違いなく「着物」を選びます。

私の最期がどのようにして訪れるのかわかりませんが、病気によっては体全体が膨張してしまうこともあります。

また急激に痩せてしまったとしたら、生前の洋服を着せたとしてもサイズが合わず何となく変になってしまいます。

 

それに着物であれば、闘病中にできた点滴や注射の跡も袖で隠すことが出来ます。

体の痣やキズは、残された家族が目にすると辛かった闘病生活を思い起こさせてしまいます。

そのことを知っているからこそ、私が死んだときには家族が痣やキズを見て苦しい想いをしてほしくないと思うのです。

 

あくまでもこれは湯灌士である私の意見なのですが、最期の衣装を自分で準備するのであれば「出来るだけ肌の露出を抑えること」と「体のラインが隠れるデザインのものを選ぶ」がポイントだと思うのです。

体のラインが出ないゆったりしたデザインの衣装であれば、亡くなった時にどんな状態であったとしても「自分が準備した衣装を着ることが出来ない」という最悪の事態は避けられます。

それに肌の露出がなければ、腕や手にできた痛々しい傷を家族に見せなくて済みます。

まとめ

湯灌士という立場で語るとすれば、「何を選んでも本人らしい服であれば死に装束にふさわしい」と思うのです。

たとえばスーツを来たことがない男性に「正装だから」といってスーツを着せたとしても、見慣れていないだけにどこかで違和感があります。

また着物を着たことがない人に高価な着物を着せても、これもまた違和感があります。

 

そうはいってもお葬式は「残される人のもの」でもありますから、家族が納得すればどのような服を着せても構わないと思うのです。

でも自分で死に装束を準備するのであれば、今回紹介した話を参考にしてみてください。

旅立つ人に身につけさせる最期の衣装は、残される家族にとっても大事なものなのですから。

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